『畏敬』後編
◆目次
「寝食を共に」
「彼が旅をする理由」
「廃バスとイスラエル人」
「猛(タケシ)と秘密の仕事」
「チング・ボイド」
「ポーラーバー」
「畏敬」
【寝食を共に】
私は覚悟を決めてテントを張る場所を考え始めた。そのためには周囲の地形を知るべきで半径300m程のエリアを見て周ったが新たな焚き火跡とサミュエルアダムスの空き瓶が見付かっただけだ。私はその辺りをキャンプ地に決めた。
後ろは湖に面しており熊の襲撃はないというよく分からない理由でその場所を選んだが、前から熊がやって来た時に逃げ場所がないとも言える訳で、つまりその場所にする合理性はない。ただ誰かがキャンプをした痕跡があるので震える心が人工物にしがみ付いただけだ。
テントを張った後は辛ラーメンとカンパンを齧りコーヒーを淹れた。今夜ここで眠る事をいま一つ受け止め切れず落ち着かないので私は日記を書く事にする。
アラスカに出発する前、近くのホームセンターに必要な物を買いに行ったが何故か恐らく不必要だろうノートと色鉛筆に目が留まりついでに購入していたのだ。
キャリーバックを漁るとノートは奥の方で湿気を帯びていた。タルキートナかディナリ国立公園周辺で雨に降られたからだろう。時間はたっぷりあるのでアンカレジ出発時から振り返ってゆっくりと記録を残したが2時間も経てばもう今日の出来事を書き綴っていた。
これ以上する事もないのでテントに入って眠ってしまいたいがテント内の気温が高過ぎて入れるような状況になく太陽がその勢いを弱めるまで外で過ごすしかない。
私は色鉛筆を取り出しドットレイクの景色を描き始める。日常的に絵を描く習慣はなく学生の頃以来久しぶりに色鉛筆を手に取ったはずだ。幼稚園の頃、塗り絵のカバを真っ青に塗って祖母に叱られた記憶が蘇る。カバを何色で塗ろうが自由だと思うが私はあの頃と違ってドットレイクを色彩豊かに描く事はできなかった。それは仕方がない。今現在心の中が単色なのだから。
しかし時間を掛けてその場の景色を描き続けると絵の完成度に比例してじんわり安心感が広がっていく。勿論何十年ぶりに描いてみた絵は人に見せられるような代物ではないが何時間も掛けてドットレイクの絵を描いた事で大暴れしていた恐怖心が落ち着きを見せ始めた。
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