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シベリア鉄道に乗ってアフリカへと向かう

2002年8月27日早朝、列車でピレネー山脈を越えた。すると急に車窓から光が差した。目をやると、そこには朝日に輝く地中海が見えた。
今日地中海と再開した。あの向こうにはアフリカ大陸が横たわっているのだ。またスペインに戻ってきてしまった・・

モンゴルから僕はモスクワへと向かった。シベリア鉄道である。モスクワまでモンゴルから101時間、4泊5日。ステップの大地を走り、世界一大きい海のようなバイカル湖を過ぎ、タイガの森を突き抜けた。
なんて贅沢な時間なのだ!と最初は思った。5日間、部屋に閉じこもって自分の好きなことだけをして自由気ままに過ごしていいよ、っていうんだもん。
駅に着くたびに売店へ走りピロシキを買って、本を読みルームメイトと雑談し、飽きては車窓を眺めた。夜は食堂車でボルシチを啜る。最高に楽しかった・・・
しかし会話も尽き、本も全て読み終わり、4日もたっても景色が全く変わらないことに気づくと、さすがに退屈でしょうがなかった。


モスクワでは赤の広場と再び出合う。やはりモスクワは世界で一番「美しい」都市の一つであろうなと再認識した。トランジットビザなので今回楽しみにしていたサンクトぺテルブルグは行けず・・・
いつかロシア君がいやみじゃ無くなったらまた来ようねと誓いながら、バルト三国はラトビアのリーガへと向かった。リーガからリトアニアのヴィリュヌス、 そしてポーランドはワルシャワへとポンポン、ポン。
どの町も世界遺産に登録されており、中世の佇まいを見せる美しい町だった。しかしチェコのプラハに着き、その旧市街を見てしまった後はどの町の記憶も色あせた。今まで3都市で無駄な時間を過ごしてしまったな、とさえ思った。それほどにプラハは美しかった。
しかし教会教会教会ゴシックゴシックバロックアールヌボー…といささか満腹である。中世もヨーロッパももういいやあ。
都会めぐりはもう終わりだ、そうヨーロッパアルプスが待っていたのである。

「ヨーロッパアルプスは推敲なモノなのだよ、チミ。日本でいう縦走なんてものはで きないよ」と、ある友人は言った。でもそれは事実ではなく、スイスのアルプスはやたらに親切でやさしかった。

スイスを東から西に340キロかけて横断するクラシカルなAlpine Pass Routeというのがある。今回は7日間かけて、セントラルアルプスとベルネースオーバーランドの、 その約4分の1にあたる90キロほど歩いた。


確かにアルプスの山々は険しく、3000m以上のピークにはほぼ全てといっていいほど雪が付いていて、そこはアルピニストにだけ許された聖域のように見えた。今回ぼくが歩いたルートは、日本でいうとこの「峠めぐり!?」みたいなもので、最高地点はたったの2800mだ。頂上は一つも踏むことがなかったものの、景色は最高にすばらしかった。
牧草の中、お花畑の向こうには槍ヶ岳のように険しい山々が並んでおり、間近に迫る氷河は音をたてながら崩れ落ち、川はエメラルドグリーンのアルパインレイクへと流れ落ちていった。まるで「絵」の中を歩いているような一週間だった。

  
首都ベルンから一路バルセロナへ。バルセロナには前回の自転車旅行で知り合ったスペイン人の友達がいて、彼らの家にお世話になっている。
相変わらず、スペイン人の生活には驚かされる。朝飯10時、昼飯を食い終わると16時だ。夜飯は21時過ぎから、そしてたまにバーに行くと平日なのに1時過ぎまでみんな飲んでいる。ペチャクチャペチャクチャ、ここの人々は人生 の楽しみ方をよく知っているなあとつくづく思うのだ。さらに、やはりバルセロナは本当にすばらしい街なのだ。大好き!
あまりにも快適で、あまりにも楽しくて、いつのまにか10日間が過ぎてしまった。今夜、イスラム教のイベリア半島最後の砦「アルハンブラ宮殿」があるグラナダへと夜行で向かう。キリスト教に敗れ「嘆きの丘」でかの地を惜しみながらモロッコへと 逃げていった彼らのように、ぼくもまたグラナダから再びイスラムの地へと向かうのだ。


日本を出て約50日、やっと「アフリカ」です。

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