お母さんというひとが仕事をするということ

私という個人よりも、お母さんという役割や立場が、とてつもないカゲを作る。

先の記事で、6人の子の母親である私が、保育園を運営する事になったことのアレコレを書きました。
それにまつわる、私の感じた事を。今日は。

もともと我が子が通う園の運営を引き継ぎました。
お母さんという立場で、お母さんという役割で、お母さんと呼ばれる・呼称でもって、この園に縁を持ちました。
それが、いきなり、反対側の立ち位置に立つわけです。
・・・
運営に立ち位置を変え、今、言える事は。
とんでもなく、お母さんというのが、邪魔をするということ。
保育園の仕事する以前は、社会的な仕事は、自分の生業だけでした。が。
その頃も実は、女性という事、母親である事が、社会的な立ち位置を作るにおいて、それだけで信頼度が落ちるという、最悪な屈辱を味わってはいました。
しかしです。
今、働く親のための施設・保育園にもかかわらず、母親である事、女性だということが、半端なく大きなカゲを落とす要因だという、根本的な問題に苦しんでおります。

先の記事で、ケア労働の社会的地位についてちょっと言及しましたが、
まさにその流れのど真ん中に晒されるという。
ケア労働 vs ケア労働。
保育士と母親。
もとを辿ると、根っこはおんなじ。
まだね、社会的対価を得ているだけ、保育士の方が基盤は固い。
母親って、世の中から何故こんな風に扱われるのか。
そう思ってしまうくらい、母という立場と社会的立ち位置の両立の難しさを、痛みを持って感じています。

ちょっと話はズレますが、子どもが熱を出し、おやすみする時。
お母さんもゆっくりして。と言われる、トンチンカンさ。
母親、ゆっくりする時間、無いです。
ウチもご多分に漏れず。6人、ほぼワンオペの、どこでゆっくりできるのか。
誰か、偉いひと、教えてくんないかなあ?

話を戻します。
子育てって、多角的な能力を必要とするのは、子どもに関わり、特に子どもなんかを育てている方は、よくご存知かと思います。
体力も対人力や調整力、忍耐力や許容力、時に知力も。
完璧なものを求められる恐ろしさもまたあるように感じます。
完成された人間などいませんから、せめて、母親という役割がはじまると同時に学びと修行が始まります。
私などは、子育てが苦手な人だと自認するのでなおのこと思う事でもありますが、仕事そのものをしている方が楽なんです。それは、単純に、家庭内においての家事も含みます。
それくらい、子どもという、人間と対峙し、成長に関与するってしんどさがあります。
ケア労働すなわち、感情労働。
感情が動き、感情が主となる空間というのは、精神的にきつい。
あげればキリのない苦しみが(笑)あるわけですが、そこまでして!
それなのに、なんです。
母親としての社会的な位置。母親という存在。
これ、地域柄も強いのでしょうかね?
ひととこに留まらず、あちこちで子育てしている私。
とりあえず、どこにいても母親という立場って微妙です。
仕事する女性。仕事する母親。違うんです。
比べて
仕事する男性。仕事する父親。夫を見る限り、むしろプラス。実態として、子育てをしていなくても!(何度もいいます。うち、ワンオペできました!)

私、一応、2園あるとこの施設長と副施設庁の兼務を夫と共にしていますが、全然他者から受ける印象と、酷いと態度に違いがあるのですよね。
一体、これ、なんなんでしょう。
言葉は悪いです。でも、言う。
胸糞悪いんだけど!
田舎、地方は特にですよ。本当に、泣きたくなるくらいに。

男女別進学率が以前として大きな差があると、この間、目にしました。
ま、そういう事ですよね!
私自身、男子しか大事でない地域・環境で育ちました。
すごいしんどくて、とても傷ついて、自尊心も自己受容も、なんなら自己決定すり出来ないような環境でした。
なんでしょうね、男とか女とかで、こんな事に。
今ジェンダー問題は活発に議論、日々認識がアップデートされている昨今ですが、正直、レインボーフラッグの皆様だけでなく、男女別においても、すごく複雑な思い込みや押し付けが全然改善されてなんて無いのです。
親や保育園の例でいうと、女性は上に述べた事、男性においても、
お子さんの事はママに聞かないとわからないわね!
だったり、
パパ、子育てに積極的に関わっている!
だったり、
仕事より子ども優先するなんて、、、情け無い奴烙印!
だったり、
子煩悩!
なんて、極みじゃないかな。
ママに子煩悩だね、なんてそうそう言わんでしょ。我が子なら当たり前なのにさ。
これに傷つくパパも多い事実ね。

本当に、どうしようもない廃園寸前の園の救済に入った訳なんですが、
副産物的に、社会の汚物まで拾う事になろうとは夢にも思わずでした。

子どもって宝だったんじゃないんだ?
いつから負債に?
子どもを持つ人間が、中身同じままで社会からの扱いが変わるという、それも負荷でしかないという。
そんな社会、怖くないですか?
いつどうなるかなんてわかんないのよ。
例え、自分自身は一切何も変わらなくても、モツモノで驚くような事が起こるのですもの。

そんな世の中で、守らなければならないのも、やっぱり子どもなのです。







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