HSPは弱さの代名詞、のわけでもなく。

揺らぎに倒れてしまわないように。

HSPの誤解として、
繊細な人・HSPは弱い。
これは、よくある話です。
繊細だから壊れやすいとか、繊細さや敏感さが傷つきやすさ。とか、まあ、そうなんでしょうけど。
私が思うに、刺激や繊細な感受性に反応した 感情 の波や揺らぎに呑まれたり、揺さぶられることに耐え難くなることで、「自滅」しているような気がします。

心が弱いのではなく。決して。
メンタル不調を起こしやすいとか、ましてや精神病気質だということでもないのですよね。
HSPの気質は、確かにそれらを「喚起・誘発」させる因子にはなりやすくはありますが、繊細🟰心の弱さではない、と、私なんかは考えます。

考え方だとか、感情を客観視するとか、俯瞰するという術をうまく活用するのは非常に有用で、是非とも取り入れてみてほしいのは前提として、
いわゆる自分軸をしっかり立てる。
これは、依存や他者に搾取されることを防ぐ、またはエネルギーバンパイヤとしてあなたが他者から「奪う」ことを止めるにも大切です。

自分軸。
他者からどう見られるかを指標や美意識とするではなく、自分はどうありたいかを求めるような生き方とも言えますが、そのために豊かな感受性をどう使うかが課題になります。
受信センサーを外側に向けると、外的な社会に。
それを、自分側に向けることが必要です。情動のような一時的なものでもなく、自分はどう思うのかという、もっと知的な作業です。
この作業は、感情の揺れや特に実態の無い恐怖やネガティブなものに対抗するに必要です。
でも、もともと優れた感受センサーな上に、HSPの能力として、自分以外の気やエネルギーにも敏感に察知するように脳が動いてしまうのが、困ったところ。もともとは危機管理の才なのでしょうから。
卵が先かニワトリが先か。の問題でもありますが、結局のところ、理性や知性で「わからせる」必要があります。
そして、経験すること。知的な部分で、他人に基準やジャッジを求める事の無意味さを理解した上で、それに則した経験を積み、それをすり合わせてカラダでわかるということ。動くことや行動するの必然性ですね。
生きている以上、感覚と心と同時に身体を使う必要があるのです。
HSPは、頭でのおしゃべり、心での感覚に集中してしまう傾向があると思うんです。
痛みとなる刺激を避けたいばかりに、内へと籠り、自分の感覚が世界の全てになってしまう。(軸が他者になりがちなのにね。)
そこに任せてしまうと、感情の暴走が止まりません。
良いのか悪いのか?を外側に委ねるのに、自分の感情が全てとばかりに呑まれてしまうのは、矛盾しているし、何より「もったいない」と知る。

そして、五感。これは、自分が生を全うするためのアイテムです。
自分を生きるのに、今ココを感じずにいるのは不可避です。
人生は今の積み重ね、です。
今を見ずに、実態の無いものを見ようとするのは。
豊かな感受性は、美しいものに反応させる。
それは訓練により会得可能であり、やはり、経験をすることが何より大切。
ちなみに、他人という不確かなものを確かな指標とし、本来のセンサーが完治した「危険」を、無きものにしたり、或いは全く無感。
宝の持ち腐れの、ソレでしょうね。自分の弱さは、そうやって自分を壊していきます。


他人の感情や空気に心を奪われること。自分が「他人」になるということ。
そういう刺激で揺れた自分の感情に揺さぶられること。側が崩れて何も無し。私の命の意味。

本当の痛みは、自分が自分に向けた 諸刃の刃。

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