直せ、直せ、直せ、

直すこと 

出来ないことは、出来るまでがキリがない。そう痛感している今日この頃です。ESの内容を、Matcherを通してつながれた人と面接対策とか、内容の精査をしたのでした。

 どうせいくら一生懸命書いたって直すところがあるくらいは分かっています。もう悔しくもなく、淡々と修正すべき所を修正していきますいきます。もうほんとに、「なんでやねん!」とも思わなくなりました。あくまで修正するべき対象は、私の書いた文章という「形式」であって、私自身の思いではないですから。ましてや私は自身は否定の矛先にはいない。

 どうしてわざわざこんな事を書いているのかというと、小さいころは「批判」が「否定」に聞こえたからです。問題を間違えたり、何かミスをしたり、そういう些末な間違いに対する指摘であったり、極端には自分の意見に対する介入さえも(例えば評価されることそのもの)、とても怖かったのです。ビクビクしていました。オドオドすらしていたかもしれません。

 まぁ、評価されることって常に嬉しいことじゃないですよね。子供たちはいつの間にか誰かが作ったよく分からない定量的基準で計られて、彼ら彼女らからしたら意味わからないかもしれないですし。まぁ積もりそうな話は一旦おいておき、他者からの眼差しや介入の一つである「批判」って、案外悪いことじゃないと、よーーーーうやく最近気づけました。遅いです。遅すぎかもしれません。お待たせしましたどうも。

「批判」って何?

 「批判」は、否定ではないと考えます。否定されるならぶん殴ってやr、これは良くないですね。否定しないことで、最大限の相手に対する否定をひそかに行う方がいいかもしれません(何のアドバイスやねん)。そんなことを、マルクス・アウレリウスなんとかって人が「自省録」という本で言ってましたから。まぁ、相手と同じ土俵に、私は立ちたくないので。
 「批判」とは、また別の見方を提供することだと思っています。うーん、別の価値文脈を見つける手助けをするというか、新しい視座を提供するというか。

ネットからの引用になってしまうのですけど…
精選版 日本国語大辞典には、

批評して判断すること。物事を判定・評価すること。

精選版 日本国語大辞典、「批判とは」、https://kotobank.jp/word/%E6%89%B9%E5%88%A4-612181

 とありますねー。うんうん。批判は「物事」に対してあくまで行うのであって、人に対してどうのこうの言うことではないと…まぁ傍から見れば人に喋ってはいるのですけど、対象は意見とか考え自体ですね。まぁこういう辞書的な説明をしたいのではなくて、批判は「また別の見方を提供すること」ではないかということです。というか、そうあるべきだろうし、実際に振り返ってみればそうだったかもしれないだけですね…(笑)

 少しだけ大人になったからこそ分かる気がしますが、もっと小さいころは「自分の意見=自分」だと思っちゃってたんですよね。意見を浮かせてみる?俯瞰して、離れてみるというかそういうことが出来てなかったんですよねぇ。「これはあくまで一意見にすぎないのですが~」というスタンスを知らなかったし、取ること出来なかった。ま、まだまだ幼かったということで。

 だから人に「批判」する時?人に何か意見を言う時は、(なるべく)新しい視点をこちらの提供できるように心がけたいなぁーと。「そうか!」「そういう見方もあるのか!」とハッとしてもらえるような言葉選びとか、態度を大事にしたいですね。就活の話どっか行きましたね。うん。

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