takashi uchida

映画作ったり、作るのを手伝ったり。

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  • 映画館と一日

    映画館にまつわる、取るに足らない思い出噺たち。

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深夜の吉祥寺と小さな至福

記憶の中の映画館、第三回。バウスシアターの思い出。 吉祥寺のメイン商店街の奥にある、どこかヨーロッパ風な小さい広場の奥にある階段を上っていくと、バウスシアターにたどり着く。中に入ると、鉄骨がむき出しになっている天井が、インディーズならではの無骨な香りを醸し出す。商店街の中にあるのは間違いないけれど、通りからは隠れていて、まるで秘密基地に潜り込むような悦びがそこにはある。 バウスシアターは、僕の知る限り最も懐の広い映画館だった。最新のファミリー映画やハリウッド映画を上映する

    • 都会の雑踏に佇む聖地

      今もなお現役の名画座・新文芸坐の想い出。 今更語る必要もない名画座の雄、新文芸坐。あくまで個人的なテイストで言えば、オールナイト等のプログラムも含め、過去の名作から近年の若手監督作品まで、そのバリエーション、視野の広さは日本国内で随一である。日本映画文化を背負う最も大きな礎の一つであると言っても過言では無い。 ー 最初に新文芸坐に向かったのは、タルコフスキーの「ストーカー」上映だった。ご存知の通り上映時間がとても長い本作は、1日の上映回数が限られており、僕が行けるのは夜

      • 夏の日比谷の二人組

        ある夏のシャンテシネの想い出。 ー 中高時代の僕にとって映画は、二つの意味で世界を広げてくれる窓口だった。一つは、知ることのない人々の物語だったり、聞いたことのない国の文化や社会を知るという、いわゆる映画そのものが持つ世界を広げる力。そしてもう一つ、文字通り見知らぬ街へ連れて行く引力を映画は持っていた。行動範囲が限られている中高生にとって、新しい映画館に行くというのはつまり新しい街に行くという意味でもあり、それもまた映画鑑賞の醍醐味の一つであった。 日比谷という街は、

        • LAの一画で過去と空想が同居する

          記憶の中の映画館、第七回。LAにある映画館、Silent Movie Theaterの想い出。 2012年に大学院進学のためロサンゼルスにやってきた僕は、暮らし始めて数ヶ月にして、ある種の違和感を感じるようになっていた。それは、LAという環境にいるにも関わらず、映画鑑賞体験が充実していないという感覚だった。まず直感的に、ロサンゼルスには名画座・ミニシアターが圧倒的に足りていなかったように思えた。チェーンのミニシアターを一つと考えると、それらに相当する映画館は5〜6館程度しか

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          9本

        記事

          90年代アジアに思いを馳せる

          記憶の中の映画館、第六回。香港にある映画館、Broadway Cinemathequeの想い出。 ー 映画好きであれば知っている時代というものがある。ヌーベルバーグであるとか、ネオ・リアリズモ運動とか、例を挙げればきりがない。もっともこういった「特定の時代」の存在というのは映画に限ったことではなく、芸術の歴史においては往々にして、ある時代、ある場所において起こった大きなうねりが、新たな価値観を産んだり多くの芸術家を惹きつけたりする。そのように命名された時代は枚挙にいとまが

          90年代アジアに思いを馳せる

          素晴らしき哉、ウェストビレッジ

          記憶の中の映画館、第五回。マンハッタンにある映画館、IFCセンターの想い出。 IFCセンターは、マンハッタンの南西にあるウェストビレッジにあるインディ映画中心の映画館である。IFCとはアメリカのケーブルテレビチャンネルで、芸術系映画を中心に取り扱うIndependent Film channelに由来している。 IFCセンターのあるウェストビレッジは、古き良きマンハッタンの風貌を残す建物が残り、ジャズバーや老舗のレストランが軒を連ねる文化的な香りの強いエリアである。近隣

          素晴らしき哉、ウェストビレッジ

          スペイン坂を彷徨う青二才

          記憶の中の映画館、第四回。シネマライズ、シネクイントの想い出。 渋谷駅、井の頭線の改札を抜け、左側にあるエスカレーターを降りる。消費者金融の広告が入ったティッシュを配っている女の子たちを慣れた足取りで避け、スクランブル交差点に向かう。信号を待つ顔ぶれの中で自分ほど地味な男を見つける方が難しい。まあ致し方ない。渋谷、原宿の主人公は女子高生でありギャルであり、あるいは(今はもう絶滅してしまった)ギャル男たちなのである。本来ならば僕みたいな黒髪眼鏡の中坊(今でいうチー牛だね)がほ

          スペイン坂を彷徨う青二才

          不夜城の中庭は夢の入り口

          記憶の中の映画館、第二回。シネシティ広場の思い出。 歌舞伎町の映画館といえば、ゴジラが顔を覗かせている事でもおなじみのTOHOシネマズ新宿。今でこそ家族連れでも十分足を運べるエリアになっているが、2000年代の初頭、10代半ばの僕にとって、歌舞伎町は未踏の不夜城、本来ならば足を踏み入れてはいけないアウトローな街であった。夜はヤクザやキャバ嬢で溢れ、昼はホームレスたちが暇を潰している悪名高い街だった。 その環境にあって、歌舞伎町のど真ん中に位置するシネシティ広場は、四方を

          不夜城の中庭は夢の入り口

          土曜の朝のここではない何処か

          記憶の中の映画館、第一回。日劇東宝の想い出。 今現在、全国にある東宝シネマズの中で、東宝本社のお膝元的存在はTOHOシネマズ日比谷だが、長年その立場にあったのが有楽町駅前の有楽町マリオン9階と11階にあった日劇東宝であった。天空に座する日劇東宝が持つプレミアム感は数ある映画館の中でも群を抜いていて、個人的にはとても特別な場所であった。僕の日劇東宝との出会いは、小学校卒業してすぐの春休み、まだ肌寒さの残る3月第1土曜日の、朝日が登ってもまもない午前5時の事だった。 ー 小

          土曜の朝のここではない何処か