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不夜城の中庭は夢の入り口

記憶の中の映画館、第二回。シネシティ広場の思い出。

歌舞伎町の映画館といえば、ゴジラが顔を覗かせている事でもおなじみのTOHOシネマズ新宿。今でこそ家族連れでも十分足を運べるエリアになっているが、2000年代の初頭、10代半ばの僕にとって、歌舞伎町は未踏の不夜城、本来ならば足を踏み入れてはいけないアウトローな街であった。夜はヤクザやキャバ嬢で溢れ、昼はホームレスたちが暇を潰している悪名高い街だった。 

その環境にあって、歌舞伎町のど真ん中に位置するシネシティ広場は、四方を映画館に囲まれている映画館密集エリアで、なぜ歌舞伎町というアウトローな街のど真ん中に、こんな夢のようなエリアがあるのだろうと、不思議に思ったものだった。

 広場に隣接する映画館の中でも、格別な存在感を放っていたのが、新宿ミラノ座だった。広場の一番奥に鎮座していて、サイズも他の映画館に比べると格段に大きかった。その座席数は1288 席(今新宿で最大のピカデリー1が580席。桁が違う。)。ロビーからただよう昭和の空気も、おそらく意図したものではないにせよ、ミラノ座の持つ悠久な佇まいを演出するのに一役かっていた。

かように素晴らしい映画館であるミラノ座だが、実際訪れた回数は少なかった。映画館のサイズゆえか、かかる映画に大作が多く、街の雰囲気とあっていなかったからもしれない。家族で観る映画ならもっと雰囲気の良い場所を選ぶし、友達やデートで見に行くのであれば渋谷の方がアクセスが良かった。

一人で映画館に行くことが多かった僕にとって、結果的に利用する頻度が高かったのは、ミラノ座の対面に座する新宿プラザ劇場や、広場の横のビルの中にひっそり佇むオデヲン座・新宿オスカー・新宿ジョイシネマだった。ミラノ座がカバーしきれないマイナー映画を彼らが掬い取っていた。ロビーから漂う雑居ビル感や、くすんだ蛍光灯が照らす細い廊下、建物に染み付いたタバコの残り香。ミラノ座に残っていた昭和の香ばしさは、こちらでは増し増しの増しだった。

高校一年生の秋、巷ではジェームズ・ワンの『SAW』が話題になっていた。この映画ほど男子の友人たちと見るのにぴったりの映画は他になく、どこかの週末で観にいこうという話も上がっていたのだが、多くの絶賛レビューをすでに読んでしまっていた僕は、一刻も早くそのスリルを味わいたくて気が気でなかった。 

頭の中は「いつ『SAW』を観に行けるか」そればっかりで、全く授業に身が入らずにいたある午前中、3時間目と4時間目が突貫で自習になるという通知が入った。すぐさま脳内データベースで検索をかけた。ぴあに書いてあったタイムテーブルの記憶が正しければ、オデヲン座の朝の回にはまだ間に合う。そして5限目にしれっと帰って来ることもできる。「今しかない。」僕はそそくさと学校を抜け出し、歌舞伎町へと向かった。

昼間の歌舞伎町は浮浪者で溢れかえっていた。何やら工事中だったシネシティ広場にはパイプやら工事用の柵が散らばっていて、それらが街の無秩序さを象徴しているかのようだった。その混沌の中を一人歩く、手ぶらの私服高校生。自意識過剰な年頃の僕は、平日の歌舞伎町にいるという事で周りから向けられている視点が気になってしまい、隠れるように小走りで広場を抜けていった。その時は明らかに場違いに感じたものの、今改めて思い返すと、自分も十分溶け込んでいたようにも思えてくる。 

『SAW』は素晴らしい映画だった。そこまでホラー映画を好んで観ない僕ですら、秀逸なストーリーのシチュエーションに感心し、低予算ながら最後まで観客を飽きさせない演出に夢中になった。恐怖演出や恐ろしいエンディングが、物語を完成させるために奉仕している点も素晴らしく、世界的ヒットも納得の出来であった。

映画館を出るとそこはまた無秩序な歌舞伎町だった。昼間とはいえ、その”異質さ”は至るところから感じられた。そそくさと広場を抜け、学校へ戻った。帰路へつく僕の鼓動がなかなか収まらなかったのは、映画のせいだけではなかったように思う。

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