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スペイン坂を彷徨う青二才

記憶の中の映画館、第四回。シネマライズ、シネクイントの想い出。

渋谷駅、井の頭線の改札を抜け、左側にあるエスカレーターを降りる。消費者金融の広告が入ったティッシュを配っている女の子たちを慣れた足取りで避け、スクランブル交差点に向かう。信号を待つ顔ぶれの中で自分ほど地味な男を見つける方が難しい。まあ致し方ない。渋谷、原宿の主人公は女子高生でありギャルであり、あるいは(今はもう絶滅してしまった)ギャル男たちなのである。本来ならば僕みたいな黒髪眼鏡の中坊(今でいうチー牛だね)がほっつき歩くような場所ではない。

そういう疎外感から逃れられないと分かっていてもなお、僕の目的地はいつでも渋谷だったのである。なぜなら坂の上にはBunkamuraがあり、シネ・アミューズがあり、今ではヒカリエがそびえ立つ東急方面にはかつて都内最大級の渋谷東急があったから。他にも名前を挙げていけばきりがない。映画好きにとって渋谷は間違いなく文化の中心であった。

その渋谷の中心地ど真ん中に、強い引力を持つ二つの映画館が向かい合っていた。シネマライズ、そしてシネクイントである。

シネマライズは、いうまでもなくミニシアターブームを牽引した単館系映画館の象徴的存在である。僕が渋谷の映画館に通いだした2000年辺りで既に10年以上の歴史を誇っており、その存在感は他のミニシアターと比べても格別だった。アメリやトレインスポッティング上映時の熱狂は語り草となっており、初心者にとっては若干の敷居の高さすら感じる映画館だった。

その一方でシネクイントは、当時まだ新興の映画館であり、シネクイントがあるパルコの入りやすさも相まって比較的気軽に足を運べるという印象だった。真っ黒な外観のシネマライズと、白壁のパルコが対照的な、文字通りスペイン坂上の二大巨塔だった。

あくまで個人的な印象であるが、シネマライズのラインナップは当時かなり先鋭的だった。年間相当な本数の映画を観ていた当時の僕ですら、「これ観に行く必要あるかなぁ」と感じるような映画を強く推していた記憶がある。今になって当時の状況を振り返ると、90年代にミニシアター文化を根付かせたシネマライズに続こうと、新興のミニシアターが群雄割拠していたのがまさに2000年代前半だったのだ。当時のシネマライズの強烈な先鋭性は、この時代における劇場としてのアイデンティティを確立するための試行錯誤の結果だったのだと、今にして改めて思う。

一方でシネクイントは、振興の映画館らしく、素直に若者が観やすい映画が多くかかっていた。2000年代前半、それまでの洋画一辺倒な時代が少しづつ変わってきていて、新しい日本映画の人気が高まりつつあった。それから数年間、邦画の人気は上がり続け、2006年には邦画の興行収入が洋画を上回るまでに至った。それまでの地味な印象を払拭したポップな邦画を多く上映していたシネクイントは、そのブームの牽引役だったと言っても過言ではない。

『下妻物語』『スウィングガールズ』等、全国公開されつつもシネクイントで上映されていることで、渋谷界隈では少し洒落たパッケージになっていた邦画は少なくないと思う。その中でも、個人的に特に印象に残ったのは『ジョゼと虎と魚たち』だった。

『ジョゼと虎と魚たち』は、まずとにかく予告編が圧倒的に素晴らしかった。くるりのテーマソングと東京の冬の風景がマッチし、大学生の恋愛が持つどこか渇いた喜びを感じさせる前半と、アンニュイなストリングスに彩られた海岸のシーンが不穏な恋の結末を想像させる後半のコントラスト。個人的な期待値はその年の映画の中で最高値だった。問題は、一緒に観に行くのにちょうどいい相方がいないという点のみだった。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm12801957

結局『ジョゼと虎と魚たち』は男子校の友人数名で観にいくことになった。経緯は全く覚えてない。普段から映画を一緒に観に行くようなメンバーですらなかった。彼らと一緒にいる時間は決して少なくなかったが、僕らを繋いでいたのは映画ではく、思春期ならではの世間に対する反抗心であり、くだならい冗談であった。彼らの興味はサッカーや麻雀であり、映画の話が話題に登ったことなんて一度もなかった。その面子での『ジョゼ』は、控えめにいってかなり違和感のある鑑賞体験だった。

『ジョゼ』は悲しいかな、よく分からなかった。自分の想像していたよりも妻夫木聡が演じる男が圧倒的に自己中心的すぎて、全く共感できなかった。これはもう、明らかに若さゆえだった。『ジョゼ』を理解するには恋愛経験が乏しすぎるし、自分で言うのも変な話だが、当時の自分はピュアすぎたのであった。

周りの友人たちのリアクションも概ね似たようなものであったが、ただ一人、明らかに普段と様相の違う友人がいた。常に皮肉家で本心を明かさず、恋愛の話なんて全く興味を示さない麻雀好きの男だった。いつも嘲笑的でふざけた事ばかり考えていた彼が、普段見せない深刻な表情で吐き捨てるように放った。

「この映画は痛すぎる。」

本人は独り言のつもりで言っていたようだけど、普段とのギャップもあってか、なんだかとても重い一言として僕の記憶に残り続けている。

本心が不意にこぼれてしまった瞬間だったのだと思う。とても人間臭い一瞬だった。映画ばっかり見ている引きこもりオタクよりも、よっぽど濃い人生を送っているんだろうな、と容易に想像がついた。友人が普段見せない面を知れた嬉しさもある一方で、人生経験の格差を見せつけられた事への悔しさを感じずにはいられない、寒い冬の一日だった。

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