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素晴らしき哉、ウェストビレッジ

記憶の中の映画館、第五回。マンハッタンにある映画館、IFCセンターの想い出。

IFCセンターは、マンハッタンの南西にあるウェストビレッジにあるインディ映画中心の映画館である。IFCとはアメリカのケーブルテレビチャンネルで、芸術系映画を中心に取り扱うIndependent Film channelに由来している。

 IFCセンターのあるウェストビレッジは、古き良きマンハッタンの風貌を残す建物が残り、ジャズバーや老舗のレストランが軒を連ねる文化的な香りの強いエリアである。近隣にニューヨーク大学やソーホーもあるので、街を歩く人の年齢層の幅もとても広い。大通りである6th Aveに面したIFCセンターは、文化の坩堝であるウェストビレッジの関所であるかのような存在感を放っている。

 IFCセンターには、アメリカン・ポップ・アートやアメリカンニューシネマが持つような哀愁がある。なんというか、エドワード・ホッパーがナイトホークスで描いたような、都会をさまよう人々が感じる孤独や情緒を感じるのである。というよりIFCセンターという場所は、ナイトホークスのような芸術作品そのものなのだと言ってよい。IFCセンターで映画を見る悦びとは、NYという街に佇む芸術作品に自分が溶け込み、その一部となりうるという恍惚なのである。

ここで最初に見た映画は『イレイザー・ヘッド』だった。確かクリスマス直前の金曜レイトショーだったような気がする。年の瀬のニューヨークといえば、老舗デパートのMacy’sがクリスマスデコレーションでブロードウェイを賑わせ、マンハッタンの至るところでストリートマーケットが立ち並ぶ、一年で最も幸せな時期である。かような時期の週末深夜の『イレイザーヘッド』。行くあてのない異端の放浪者が引寄せられて会する悲愴な一夜を覚悟していたのだが、実際のところは若くて身なりもお洒落な若い人たちで劇場は満員だった。綺麗な女子も多かった。ウェストビレッジ、なんとも懐の広い街である。 

最初の晩で僕はIFCセンターの虜になってしまっていた。同じ週末、どういう文脈かは覚えてないのだけど、溝口健二の『山椒大夫』が上映されると知った。クリスマスのマンハッタンでなぜ、奈良時代が舞台の、親と生き別れた悲惨な兄弟の物語を見なければいけないのか。理由は全く見出せなかったが、気がついたらウェストビレッジの駅で列車を降りていて、いつの間にかチケット売り場の前に立っていた。(IFCセンターは、6th Aveの駅を降りた目の前にあるのである。) 

さすがに日曜の午前中というのもあって、片手で数えられるほどのお客しか見当たらなかった。それでも日本映画のクラシックを朝早くから見に来ようと思うニューヨーカーがいるんだな、と感慨深かった。映画が終わり、劇場が明るくなると、周りの観客たちが咽ながら涙をこぼしていた。映画館でアメリカのオーディエンスが涙を流す姿を見たのは初めてだった。

 IFCセンターは、こういったニッチな映画の上映だけではなく、アメリカ映画の伝統もしっかりと受け継いでいる。

アメリカにおいてクリスマスシーズンの定番映画といえば「素晴らしき哉、人生」をおいて他にはない。原題は「It's a wonderul Life」。クリスマスシーズンではテレビで必ず放映されている本作を、IFCセンターでは毎年年末に上映している。『イレイザーヘッド』を見た冬は、タイミングが合わず機会を失っていたが、それから数年が経ち、またニューヨークでクリスマスシーズンを過ごす機会があって、念願叶いようやく劇場で見ることができた。

 『素晴らしき哉、人生』の素晴らしさを改めて書く必要はないだろう。家族と友人を愛した善良な市民が、報われない人生に絶望するも、その善良さを持って得た隣人の愛によって生きる意味を悟る、アメリカ映画の、アメリカ人の良心が詰まっている名作である。『イレイザーヘッド』や『山椒大夫』も歴史に残る名作であるのは間違いないが、クリスマスを過ごすなら圧倒的に『素晴らしき哉、人生』が正かった。

映画館の外は冬のニューヨークで、風が強く吹いていた。映画を見終わった僕たちはその足でワンブロック先のジャズバーに入った。半地下の決して広くないエリアに何十人も人が詰まっていて、外の寒さが嘘のような熱気がそこにあった。演奏が始まる前に向かいのカップルと話をしていると、彼らも『素晴らしき哉、人生』を見てきたところだと分かった。

自分たちが日本人であると紹介すると、宮崎駿や今敏の話に花が咲いた。ウェストビレッジの文化に対する興味は尽きることなく、今も変化を続け、その豊かさは今も広がっている。変わり続けることなく、変わり続ける。とてもじゃないけど数回足を運んだだけじゃあ把握しきれない魅力がある街だなと、改めて思い知らされた。



 追記:今回(2019年の年末)少し驚いたのは、映画前に流れる予告編だった。まず流れてきたのが、新海誠監督の「天気の子」だった。異国の地でみる日本映画の予告は、郷愁に駆られて、嬉しかったり誇らしかったり思うのは事実なのだけど、とはいえアメリカン・クラシックを観に来ているオーディエンスに最初にかける予告編か?と疑問に思わざるを得なかった。そして次の予告が『カサブランカ』。これはまぁ分かる。そして次にかかったのが「スタジオジブリ全作品上映会」だった。カサブランカをジブリと新海誠でサンドイッチ。正直、母国の映画だからどうこうというより、今のアートハウスの観客がどういう感性で映画館に来ているのか、ついていけなくなっているのを感じざるを得なかった。


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