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都会の雑踏に佇む聖地

今もなお現役の名画座・新文芸坐の想い出。

今更語る必要もない名画座の雄、新文芸坐。あくまで個人的なテイストで言えば、オールナイト等のプログラムも含め、過去の名作から近年の若手監督作品まで、そのバリエーション、視野の広さは日本国内で随一である。日本映画文化を背負う最も大きな礎の一つであると言っても過言では無い。

最初に新文芸坐に向かったのは、タルコフスキーの「ストーカー」上映だった。ご存知の通り上映時間がとても長い本作は、1日の上映回数が限られており、僕が行けるのは夜9時代の回のみだった。上映終了はほぼ終電間際だった。

「斯斯然然、というわけで遅くなりそうです。」と親に伝えたのだが、どういうわけか反対された。確かに中学生が終電で帰るのは問題があるようにも思えるが、特に門限を設けられたこともないので、少し意外に思えた。結局、お爺ちゃんと付き添いで行くなら良い、という、よく意味のわからない折衷案が採用された。

初めての池袋だった。東口を降りて新文芸坐に向かう道中で初めて、親が物言いをつけた理由がわかった。そこは歌舞伎町にも似た正真正銘の夜の街、派手なネオンが薄着の女性たちや金髪の男たちを照らすアダルトな一画であった。歩きながらお爺ちゃんが放った「この辺も最近は来ないなぁ」という聞き捨てならない一言が頭から離れなかった。早めに着いてしまい、他に行く場所もなかったので、お爺ちゃんはするっと近くの回転寿司に入り、僕たちはそこで軽い夕食をとった。あまりの土地勘の鋭さに関しては、僕はあまり聞かないでおこう、と口を紡いだ。

そんな都会の喧騒のど真ん中で、70年代に制作されたロシアの文芸SFが上映されているというのは誠にシュールに思えた。タルコフスキー映画は、あらゆる映画の中で最も満々とした時間が流れていることで知られる。映画通を気取りたくて仕方のない僕であっても、睡魔の誘惑からを逃げることはできなかった。

タルコフスキーの世界と自分の夢を行ったり来たりしていると、隣から急に声がした。「なんだこれ、さっきこいつらがいた場所じゃねえか。」お爺ちゃんが映画にヤジを飛ばしていた。後日再見して分かったのだが、確かにこの映画では登場人物が同じ場所を行ったり来たりするというシュールなシーンがあった。そんな催眠術さながらのシーンでも、ガッツリとツッコミを入れられる覚醒状態でタルコフスキーと向き合えている事に尊敬を覚えた。タルコフスキーでヤジはどうなんだろう、と少し恥ずかしくも感じたが、本当に恥ずかしいのはわざわざ池袋まで来て眠りについてしまった自分である。もっと言えば、あのヤジで目を覚ました観客は僕だけではなかったはずである。

その日を境に新文芸坐は僕にとってのメッカとなった。パチンコ屋にならぶ列を横目に猥雑な通りを抜け、休みが丸々潰れる二本立てを見るために足しげく通うようになった。初めは面食らった立地ではあったが、「ガンジス川を混沌とした人や街が囲っているように、あるいはこれも聖地のあるべき姿なのかもしれない。」みたいな妄想も嗜んだりした。

一番最近で新文芸坐に赴いたのは4年前、2016年の冬である。

その頃、僕はとある事情で中国、日本、アメリカを行ったり来たりする生活をしていた。僕がもし大手の商社マンで、自分の仕事のためにこのような生活をしていたのであれば、この生活スタイルもまた自慢の一つにもなっただろうが、僕の場合は違っていた。僕の生活は当時、その時の彼女のスケジュールに大きく左右されていた。彼女の仕事が中国でちょうど終わったため、次に控えていた僕の仕事に移るまでの数週間、二人で日本に寄っていたのであった。当時の僕たちは、そういった生活リズムもストレスの元となって、摩擦が多かった。

慣れない三ヶ国の移動にも疲れていた僕は、日本にいる間だけでもリラックスしようと、名画座のスケジュールを逐一チェックしていた。そしてその時、新文芸坐では、アジア映画特集がやっていた。目玉の上映は『ヤンヤンー夏の想い出ー』。字幕が必要とされない映画が上映されるとあって彼女も喜んでいた。

言うまでもないが『ヤンヤン』はエドワード・ヤン監督の遺作にして映画史に名を残す台湾映画の名作である。

ストーリーの中盤で、主人公の父親が出張で熱海へ行き、かつての恋人との再会を果たすシークエンスが、大きな見せ場となっている。父親が台湾から東京へ向かうシーンの、モノレールから見える東京は、この映画の中でもとても印象的なショットの一つである。そしてそれは僕たちが数日前、羽田から都心へ向かう途中にみた景色と全く同じでだった。色や形だけではない。遠い距離を隔てて東京の空気に触れるその旅路、その高揚感。僕たちは、スクリーンの向こうにある物語に自分たちの現状を重ね合わせずにはいられなかった。

映画は続く。ヤンヤンの父親は、かつての恋人との再会を果たすも、長年の溝は埋まるどころか、人生に対する無力さと時の不可逆性を思い知らされ、絶望する。そのやるせなさは、20代後半の先の見えないカップルには生々しすぎるものだった。擦り傷が風に晒されるかのような痛みが、嫌味なくらいに胸に沁みた。

新文芸坐を出ると池袋は夕焼けに染まっていた。『ヤンヤン』を見ながら感じた物語と現実の境界線が限りなく消えていくような感覚が、僕たちがみる現実の光景を侵食しているようだった。アジアを流れる悠久の風に吹かれて、自分たちが大いなる物語の一部にいるように思えた。そんな僕らには一切の関心を示すことなく、池袋の街は夜に向けてせわしなく動き始めていた。

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