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土曜の朝のここではない何処か

記憶の中の映画館、第一回。日劇東宝の想い出。

今現在、全国にある東宝シネマズの中で、東宝本社のお膝元的存在はTOHOシネマズ日比谷だが、長年その立場にあったのが有楽町駅前の有楽町マリオン9階と11階にあった日劇東宝であった。天空に座する日劇東宝が持つプレミアム感は数ある映画館の中でも群を抜いていて、個人的にはとても特別な場所であった。僕の日劇東宝との出会いは、小学校卒業してすぐの春休み、まだ肌寒さの残る3月第1土曜日の、朝日が登ってもまもない午前5時の事だった。

小学校高学年で中学受験をしていた僕は、自由な時間を持つことがあまりなかった。受験勉強自体はそこまで苦手意識を持っていなかったので、それを苦痛に感じた記憶はないのだが、自分の時間が持てない窮屈さは常に僕の精神の足かせになっていた。月水金で夜10時まで自宅に帰れないような日々が続いていた。

長い長い受験期間を終え、2月の試験を終えた僕は自由になった。精神の足かせから解放され、身軽に歩き回れるようになった。急に視界がひらけ、毎日が新しい世界に対する好奇心に満ちはじめた。そんな僕を最初に魅了した場所が、映画館だった。

小学校卒業当時の僕にとって一年で一番大きなイベントといえばドラえもんの映画だった。中学受験が終わった2月、毎年春休み公開のドラえもん映画は、まさに祝福と喝采に満ちたイベントのように僕を待ち構えていた。

「どうせ見るなら一番大きな映画館で見たい。」そう思った僕は、コンビニにあるエンターテイメント雑誌ぴあを手に取った。ぴあは、新作映画紹介ページと、地域別の公開映画情報ページの大きな2セクションに分かれていた。地域別のページで冒頭に載っていたのが、有楽町だった。今思えば東宝本社がある場所だからとすぐ分かるのだが、当時は「なんで有楽町?」と思ったものだった。その有楽町の中でも映画館リストの最初に載っていたのが、日劇東宝だった。

日劇東宝。なんというラスボス感のある力に満ちた名前だろう。サイズも地元の吉祥寺オデヲンに比べ3倍近くの収容数を誇っていた。そして何より、公開当日声優の舞台挨拶が行われる場所だった。公開初日の日劇東宝が、ドラえもん新作映画を見るベストな場所であるのは疑いようがなかった。

「きっとたくさんの人が見にくるに違いないから、早く行こう。」そう思った僕は、朝4時半の始発電車に乗ることに決めた。凝り性なのである。凍てついた空気の中、三鷹始発の中央線に乗って、高円寺あたりで空が明るくなってきた。有楽町についたのは朝5時20分ごろだった。

僕の予想は、半分当たって、半分外れていた。日劇東宝のある有楽町マリオンの一階の吹き抜けには、すでに人が並んでいたが、数人だった。ただ自分が最年少なのは間違いなかった。どうでもいいことに誇りを持ってしまうのは、12歳の男子なら致し方ないと思う。とりあえず並んだ。初めての有楽町だった。

9時を回ったあたりでエレベーターが動き始め、映画館のある9階まで入れるようになった。天空にある映画館。その響きが、設定が、さらに心を震わせた。エレベーターを降りると、まだ明かりのついていない天井の高いテラスがあった。自分の足音が響き渡るほどの静かで広いフロアを抜けて、映画館の入り口前まで向かい、開場を静かに待った。

開演40分前に映画館のドアが開いた。初めて入る日劇東宝。長い長い待ち時間が、開場をよりドラマチックに感じさせた。ロビーには絨毯が敷いてあり、その高級感はそれまで僕が行ったことのある映画館の廊下とは明らかに違っていた。劇場内に入ると、そのサイズに圧倒された。これだけの天井の高い空間が地上9階にある事が不思議に思えた。とにかく全てが大きく感じられた。正直行って、ドラえもん映画には不釣り合いに思えた。

新作映画の上映は無事終わった。映画の出来は、数あるドラえもん映画の中ではまぁ普通な出来だったが、ドラえもん好きを公言している僕としては、そう感じてしまうことが不義理にも思え、本当の気持ちとは裏腹に、誰よりも大きな拍手を送った。声優たちが出てきて舞台挨拶が始まった。おきまりのやりとりではあったが、後日ぴあにその時の写真が載るんだな、と思うと嬉しかった。

映画館を出ると、街には人が溢れ返っていた。日常の風景に触れ、ふと「あぁ、僕はちょっと違う世界に行っていたんだな。」と感じた。今この日のことを思い返しても、映画そのものよりも、映画館へ至るまでの朝の冷たい空気や、9階フロアが持つ荘厳さの方が鮮明に記憶に残っている。土曜日の朝、日常とかけ離れた世界へ誘ってくれた映画館という場所に、僕は魅了され始めていたのであった。

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