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LAの一画で過去と空想が同居する

記憶の中の映画館、第七回。LAにある映画館、Silent Movie Theaterの想い出。

2012年に大学院進学のためロサンゼルスにやってきた僕は、暮らし始めて数ヶ月にして、ある種の違和感を感じるようになっていた。それは、LAという環境にいるにも関わらず、映画鑑賞体験が充実していないという感覚だった。まず直感的に、ロサンゼルスには名画座・ミニシアターが圧倒的に足りていなかったように思えた。チェーンのミニシアターを一つと考えると、それらに相当する映画館は5〜6館程度しかなかった。一般には映画先進国と考えられているアメリカの、しかも映画制作ど真ん中のLAであることを考えると、その少なさは異常にすら思えた。僕が考える映画文化の総体像に比較すると、ロサンゼルスが考える映画文化の総体像はかなり部分的に思えた。

もちろんこれはあくまで個人的・主観的な解釈であって、ロサンゼルスにはロサンゼルスなりの映画文化の総体像があり、その文脈の中で最も正しいとされる興行形態になっていたと後になって分かるのである。LAにおいては映画といえばアメリカ映画のことを指し、それらの新作を最も高いクオリティで見ることが正しい映画体験なのである。

しかし、それに気づかないサブカルおたくである僕の不満は募る一方だった。その不満とは具体的に言うと、「見たい映画がない」ということで、LAにいながら、日本の名画座のホームページをブラウズして、面白そうな作品をストリーミングで探すなどという本末転倒なことで日々を過ごしていた。

そんなある日、Fairfax通り沿いにあるSilent Movie Theaterで『千と千尋の神隠し』が上映されると知った。本来ならば、もう子供の頃なんども観た作品で、そこまで興奮するものではないはずなのに、アメリカ映画疲れしている僕にとっては一筋の清涼剤にも思えて、すぐに友人を誘いチケットを取った。

その友人は、LAの大学院でほぼ同期の日本人で、LAに来て割とすぐから意気投合しよく会う仲であった。Silent Movie Theaterは二人とも初めて訪れる場所であった。ストリートファッションの店が集うFairfaxの端っこにあって、車を停めるのにかなりの時間を費やした。雑然としたエリアの中に、ツタで覆われた外壁に包まれた劇場は、さながらファンタジー映画に出てくるような様相であった。

劇場の中にはサイレント映画時代の名優の写真が壁に飾られ、普通の映画館にあるような無個性な黒い壁とは一線をかす自己主張の強さが、僕の知っているLAの映画館と全く違ってとても興奮したのを覚えている。劇場はすでにジブリ作品のファンでほぼ埋まっていた。

アメリカ国内におけるスタジオジブリの知名度の高さは十分知っていたが、海外の観客と一緒に大きなスクリーンで見るのは初めてだった。海外で初めて見る宮崎駿映画は発見に満ちていた。観客について、翻訳について、なぜアメリカで受け入れられるかについて、アメリカの客が千と千尋に何を求めているのか、何に興奮しているのか。違う観客の中にいると言うだけでこれだけ映画体験が違うのかと驚いたものだった。

幼い頃に何度も見た映画を異国の地で観るのは心踊る体験だった。劇場を出て興奮冷めやらぬ僕たちは、数ブロックほど先にあるダイナーに入った。Canter’sというそのダイナーは、全体的に文字通りのセピア色の装飾に包まれていて、ダイナーというよりはNYのデリカテッセンのような趣がある、アメリカのノスタルジアを感じさせる空間であった。

後になってわかったことだが、このエリア一帯はユダヤ人が多く住むエリアで、このCanter'sも、東海岸のユダヤ人がLAに移住した際に故郷を想いながら開業したという歴史を持っていた。なのでそこに感じるインプレッションがデリカテッセン的だったのも、あながち間違っていなかったのだが、そんな歴史を知ることのない僕らにとっても、その節々に香る情緒はどこか懐かしく、心地よかった。

コーヒーとレモンティーだけを頼んで、フロアの角に座ってとりとめもない話が続いた。夜中の2時を過ぎるとバーが閉まってしまうLAでは、日本のようにオールで朝まで時間を潰すという風習はない。ところがカンタースはLAでもかなり珍しい24時間営業で、僕たちは時間を気にする事なく延々と居座った。

どういう話の流れであったか、友人が「きっと何年後かに、あの時千と千尋を見てその後朝まで語ったって思い出すだろうなあ」と言っていたのが強烈に印象に残っている。そういうのは、実際に未来が来た時に思うんじゃないか、と可笑しく思ったものだが、その夜に話した内容の中で唯一記憶に残っているのがその一言なのだから、彼の言葉もあながち間違ってはいなかったのだ。

Silent movie theaterは、ある種の映画体験に飢えていた僕にとって、それからというものLA生活に無くてはならない存在となった。メンバーシップに登録して、そこまで興味のない映画も積極的に見るようになった。あれだけ苦労した駐車スポットを探すのにも慣れてきた。

ところが残念なことに、2017年を持ってこの映画館は永久に幕を閉じることとなった。僕が最初の頃に感じていた、LAにおけるミニシアターの需要の無さが皮肉にも証明されてしまったのだった。

劇場は今なお他の業者に入られることなく、2020年現在空き家のままである。今でもそこを通るたびに「なんの予告もなく突然に息を吹きかしてくれていたりしないかなぁ。」なんて空想に浸ったりもする。実際のところ、仮にひっそりと営業を再開していたとしても、特に違和感もなく受け入れられるだろう。もともと過去と空想が同居する魔法の空間だったのだ。ちょっとぐらい世界のルールを破るような事が起こっても、何も違和感を感じる事なくファンたちは足を運ぶことになると思うんだけど。

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