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90年代アジアに思いを馳せる

記憶の中の映画館、第六回。香港にある映画館、Broadway Cinemathequeの想い出。

映画好きであれば知っている時代というものがある。ヌーベルバーグであるとか、ネオ・リアリズモ運動とか、例を挙げればきりがない。もっともこういった「特定の時代」の存在というのは映画に限ったことではなく、芸術の歴史においては往々にして、ある時代、ある場所において起こった大きなうねりが、新たな価値観を産んだり多くの芸術家を惹きつけたりする。そのように命名された時代は枚挙にいとまがないが、まだ(僕の知る限りでは)誰も明確に定義していないにも関わらず、個人的な脳内映画ライブラリーで明確な一つのカテゴリーとして纏められている時代の映画たちがある。90年代のアジア映画である。

 日本では北野武や岩井俊二が活躍したこの時代、中国では『太陽の少年』の姜文や『初恋の来た道』のチャン・イーモウが世界的な名声を獲得していた。台湾映画の文脈では、後に「台湾ニューシネマ」と称される若手映画監督の勃興が80年代すでに起こっていたが、個人的には91年制作のエドワード・ヤンによる『クー嶺街少年殺人事件』や、92年制作、ツァイ・ミンリャンのデビュー作『青少年哪吒』等に強く惹きつけられるものがある。

 そして90年代のアジア映画で個人的に強く惹きつけられるのが、香港映画である。主権移譲前後という時代の大きなうねりの中にあって、ドラマ映画の大きな成熟の時代を迎えていた当時の香港映画には、他の映画では見られない独特の艶があったように思う。『ラヴソング』や『玻璃の城』には、当時の香港の歴史的文脈に生きる男女のロマンチックな人生が描かれていて、今なお色褪せない輝きを放っている。そして90年代の香港に彗星のように現れたウォン・カーウァイ。彼がフィルムに焼き付けた無国籍な香港の風景は、後の映画作家に強烈な影響を与え続けている。

 なんだか前置きが長くなってしまったが、要するに何が言いたいかというと、僕はアジア映画が大好きで、その上、香港というのはその憧れのもっとも濃縮された世界の一部であり、多分そう思っている映画好きも少なくないはずなのである。ちなみに僕が初めて香港に足を踏み入れた時も、恥ずかしげもなくヒルサイド・エスカレーターではしゃぎ、用もないのに重慶大厦でうろうろしたりして、90年代の香港の空気を追いかけたものである。BGMは当然フェイ・ウォンの『夢中人』。ウォン・カーウァイ苦笑い間違いなし、なんの工夫もないベタすぎる観光客っぷりである。

香港にいある間も映画館に行きたくてしようがなかったのだが、滞在期間が短く色々寄る暇もなかった。そんな中唯一立ち寄れたのが、日本でいうミニシアターに近い雰囲気を持ったBroadway Cinemathequeだった。インディー映画館自体への興味は言わずもがなだけど、当時の僕はどこかホームシック気味で、李相日の「怒り」が上映されていると知り、字幕なしで観れる映画が上映されるという安堵と喜びは思いの外大きかった。 

Broadway Cinemathequeは、高層マンションと漢字のネオンサインが空を埋め、張り巡らされた電線の下をかい潜る様に2階建てのバスが右往左往する九龍の、大通りから少し外れた公園の向かいに、ひっそりと軒を構えている。 

上映開始時間より結構早く着いてしまった僕たちは、大通りへ戻り、特に行くあてもないまま、小さなゲーセンに流れ着いた。地下へ潜る階段を下っていくと、それまで聞こえていた都会の騒音が、徐々に聞き慣れたアーケードの喧騒へと変化していく。有名な映画のロケーションでもなければ、これといって特徴があるわけでもない、ごくごく普通の、都会の隅に佇む小さなゲーセンである。 

しかしその薄暗いありふれた風景は、90年代アジア映画が持つ無国籍性を思い起こさせるに十分な光景であった。自分が10代に見てきた東京のゲーセンやカラオケの光景や空気感と同じものがそこにあった。この閉塞感と不思議な心地よさを感じながら育った香港人がいたのだろうと想像すると、顔も知らない彼ら彼女らと共鳴しているような悦びすら感じられた。 

Broadway Cinemathequeに戻り、『怒り』を観終えた。日本映画界の俳優陣が織りなす演技の素晴らしさに唸らされた。一緒に見ていた彼女の感動は僕のそれをはるかに上回っていた。海を隔てた日本の物語が、かつて憧れた香港という土地で国籍を問わず多くの人を感動させる。映画が作る世界の繋がりに改めて心動かされた夜だった。 

Broadway Cinemathequeには映画関連書籍を多く扱う本屋と、小さなKubrickというカフェが併設してある。本の品揃えや雑貨の豊富さは、ディープな映画ファンから、ふらっと寄っただけの大学生まで楽しんで見て回れるようになっている。映画制作志望の若い人たちがコーヒー片手に話に花を咲かせていて、側から見てもとても良い雰囲気だった。会話に飛び入り参加できない寂しさを感じつつも、大体どんな話をしているかもわかるようにも思えて、少し可笑しくなってしまう。

あれから数年が経って、今香港を取り巻く空気は当時と比べても大きく変化している。独立派と親中派の間の溝は埋まるどころか、両者の対立はより先鋭的になっているようにすら感じる。あの時cinemathequeで語っていた彼らの声がまた聞いてみたいな、と思う。

今の香港に生きる喜びと苦しみ、それを全部まとめて聞いてみたい。僕はきっとその声を、どこか遠い国の話としてではなく、芸術の深い部分で通じ合った友人として聞く事が出来るんじゃないか、なんて思っていたりする。…僕の思い上がりかも知れないけれども。

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