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5月1日に考えるゴースト・ワーク|銀河鉄道の夜

5月1日は労働者の祭典。劇団・ヨーロッパ企画の新作『たぶんこれ銀河鉄道の夜』を鑑賞して、宮沢賢治のいう「ほんとうのさいわい」が何なのかを再考してみれば、世界に飲み込まれる前に、急ぎ、日本人らしい労働を見出す必要があると思うのです。

 5月1日はメーデー(May Day)。歴史ある労働者の祭典として、世界中の国々が揃って祝日となっている。日本はというとご承知のとおり、過密なゴールデンウィークを避けるかのように11月23日に設けられた勤労感謝の日を代わりとして、平日だ。いまや企業の一部に納まってしまった労働組合の機能不全と相まって、その存在すらも忘れている人が多いだろう。飛び石連休の最中、付与とともに取得を義務付けられた有給休暇の「消費」を強いられることによって、実質的な「祝日」扱いとなっているケースもよく耳にする。女性の管理職登用率や、男性の育児休業取得率の向上を経営目標に掲げ、多様な働き方を支援しようとする企業も結局は、短期的な効率性重視の施策に向かわざるを得ない。その陰には社会の部品であり続ける労働者がいる。

 ChatGPTに代表されるLLM(Large Language Models、大規模言語モデル)の台頭により、いよいよAIによる人的労働力の代替が現実味を帯びてきた。しかし、その弊害が働き口の不足ではなく、細切れにされた単純労働の急増にあることを指摘するのは、文化人類学者のメアリー・L・グレイ(Mary L. Gray)氏とコンピューター社会学者のシッダールタ・スリ(Siddharth Suri)氏だ。マイクロソフトリサーチに所属する2人は著書『ゴースト・ワーク』(晶文社、2023)において、近年のテクノロジーサービスの発展の裏側にある膨大な人手作業の存在を明らかにした。例えば、広大なインターネットの海原から検索エンジンがかき集めてくる画像の中に法律的・社会通念的に不適切なものが含まれることがないよう、それを見極めている人がいる。私たちが不快だと通知したユーザーレビューがただの八つ当たりではないことを、正しく判断している人がいる。良識を持たない機械にはどうしたってこなすことが難しい仕事があるというのだ。

 それらをラストワンマイルの解決と捉えると分かりやすい。Uber Eatsが消費者とレストランを繋いだように、個人に対する最後の一手をかなえるためにはちょっとした人手が欠かせない。と、同時にそれは一般的に高度なスキルを必要としないことから、価値ある仕事としては認められにくい。実際、Uber Eatsの配達員を巡っては、同社の従業員であるか否かが議論になったことは記憶に新しいだろう。同じようにAmazonやGoogleは「ゴーストワーク」を世界中の個人に委託しているという。グレイ氏とスリ氏は主にアマゾン・メカニカル・ターク(Amazon Mechanical Turk、Mターク)という日本では聞き慣れないクラウド・ソーソング・プラットフォームを使う人々の働き方を紹介する。

 問題は端的に労使関係の非対称性にある。働き手はいつでも、どこでも、インターネットにつながる端末さえあれば好きなように仕事を受けられるという幻想のもと、少しでも良い仕事を得るためにディスプレイの前に張り付き、運よく手にした仕事で間違っても低い評価をつけられないように神経をすり減らしている。ITの世界で今流行りのマイクロサービスという概念によって抽象化された労働力は、代替可能なシステムの一要素に成り下がっている。仕事の依頼主にとって、引受人がどこの誰であるのかを気にしない仕組みが作り上げられているのだ。それは物理的に交わることが可能なUber Eatsの配達員よりもはっきりと、連携を妨げる形になっているという。だからこそ、Mタークの働き手同士は互いに助け合えるよう、自発的にその外側に別のネットワークを構成しているというから興味深い。幸せに働くとはどういうことなのだろか。

 今年の3月から4月に掛けて、京都を拠点とする人気の劇団・ヨーロッパ企画は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフとした作品『たぶんこれ銀河鉄道の夜』を公演した。「ほんとうのさいわい」とは何かを問い掛ける不朽の名作が、音楽によって賢治のことばの美しさを強調しつつも、インターネット時代の個のあり方を映す魅力的な作品にアップデートされていた。特に原作では少年であった主人公たちを働く大人に置き換え、利己的な行動が招く孤立の愚かさをユーモアを交えて分かりやすく主張する。そう、宮沢賢治が繰り返し訴えていたのは利他の精神であり、これをあらためて意識させるのが『たぶんこれ銀河鉄道の夜』なのだ。その手法はシンプルに連帯であり、悩める乗客同士が手を取り合うことでそれぞれの幸いを見つけていくステップが潔い。結局、どんな時代であっても人の生き方は変わらない。

 かつて賢治に着想を得て、「ほんとうのさいわい」を機械の身体に求めたのは漫画家・松本零士氏だったけれど、氏が物語ったように、たとえ永遠の生命を手にしたとしても、社会の部品として働くだけであれば意味がない。直接的であれ、間接的であれ、他者とのコミュニケーションを通じて他者に利するような生き方こそが人間らしいといえるのだろう。それを知ってか知らずか、海外のテックジャイアントが人をAIと同じように無機質に扱い続ける現状は長く続かないと思うのだ。日本は幸いにも言葉が障壁となって、海外の労働市場の変化に巻き込まれてこなかった。国外に出稼ぎにいく人も少ない。それでもこれだけ物価水準と給与水準が下がってしまった現状を客観的に捉えれば、いつ世界に飲み込まれてもおかしくはないだろう。そろそろ私たちなりの「労働」を見出す必要があると思うのだ。

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