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誰もが白いエルフになりたいわけじゃない

スター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リング、ディズニー作品など、シリーズ新作映画のキャスティングが論争を巻き起こすケースが増えています。ポリティカル・コレクトネスを意識せずとも、時代に合った表現を求めれば古典的な解釈は翻るわけで、誰もが白いエルフになりたいわけではないと思うのです。

 Amazon Prime Videoにて「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの最新作『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪(The Lord of the Rings: The Rings of Power)』の配信がはじまると、一部のキャスティングが論争を巻き起こしている。従来、肌の色が透き通るように白いとされてきた種族・エルフの戦士役にプエルトリコ出身のイスマエル・クルス・コルドバ (Ismael Cruz Córdova)が当てられていたり、性別を問わず男性的な外見を持つとされてきた種族・ドワーフの姫を女優ソフィア・ノムヴェテ(Sophia Nomvete)が演じていたりと、1937年の最初の物語の出版以降、80年以上にわたって作り込まれてきた世界観が壊されようとしていると感じるファンが多いのだ。実際、これまでのシリーズの映像作品は白人ばかりで作られてきた。変化に対する怒りの矛先は残念ながら役者個人に向かってしまう。

 製作チームはこれを批判する声明を発表し、アクションを取っている。原作者J・R・R・トールキン(J. R. R. Tolkien)が定義したのは「異なる人種や文化を持つ自由な民衆が、悪の力を打ち負かすために、仲間となって協力し合う世界」なのだ。「私たちの世界は決して白人ばかりではなく、ファンタジーも白人ばかりではなく、中つ国(作品の舞台)も白人ばかりではない」と説く。白人男性社会によって、都合よく作られてきたおとぎ話は岐路に立たされている。ロード・オブ・ザ・リングは古典として、今のファンタジーの基軸的役割を担ってきたが故の難しさもあるだろう。エルフやドワーフは、テレビゲーム「ファイナル・ファンタジー」シリーズをはじめとする多くの作品から参照されているのだ。設定の変化を望まない人がいるのは当然なのかもしれない。

 トールキンは神話に着想を得て、エルフやドワーフを生み出した。ともにゲルマン神話に起源を持ち、北欧やドイツの民間伝承の中で語り継がれてきた背景がある。例えば「白雪姫」に登場する七人の小人はドワーフだといわれている。あの白い髭のイメージが定着する小人の役を、もしも女優が演じたとしたら、ミスキャストだと批判が集まることは想像に容易い。いや、愛嬌のある小柄な白人女優であれば許されるのだろうか。2024年に公開が予定されている実写映画『スノー・ホワイト(Snow White)』でレイチェル・ゼグラー(Rachel Zegler)が白雪姫を務めると分かると、やはり疑問の声が上がっていた。スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)監督の『ウエスト・サイド・ストーリー(West Side Story)』で主演に抜擢され、見事に高い評価を得た彼女はラテン系アメリカ人なのだ。「普通はラテン系のなまりがある白雪姫なんて見ないでしょう」と皮肉なコメントを残している。

 昨今、歴史的名作であればあるほど、そのリバイバル、続編作りは難しい。その時々の時代性の反映は作品の世界観を壊しかねないのだ。今年、36年振りの続編として公開された『トップガン:マーヴェリック(Top Gun: Maverick)』は変わらないことに重きを置いたことでファンを喜ばせている。中東、ロシアとアメリカを取り巻く軍事情勢が当時から大きな変化をみせる中、いま米海軍を舞台に映画を作ることは人道的にも非難される可能性があったにもかかわらず、ならず国のウラン濃縮プラントを破壊するというシンプルなストーリーは主人公のヒーロー性、ジェット戦闘機の格好良さ、チーム内の友情、大人の恋愛といった普遍的なテーマを際立たせることで商業的な成功を見せている。時代的配慮としては、女性パイロットを1人登場させた程度にとどまっている。無人爆撃機などのテクノロジーがもたらす厄介な問題も「今じゃない」と、傍に追いやる姿勢が潔い。

 イギリス人ジャーナリスト、ジェニー・クリーマン(Jenny Kleeman)は著書『セックスロボットと人造肉』(双葉社、2022)にて、テクノロジーが男女平等を実現する可能性を論じている。一部の富裕層の間で代理母出産が増えている現状を踏まえ、出産が女性に対する物理的、精神的障壁となって男性との格差を生み出しているのだとすれば、人工子宮による体外発生が唯一の解決策となるのかもしれない社会がある。「女性が真の平等を手にするのにそんなことまでしなければならない」のか。著者曰く「考えただけで気が滅入る」。もしも男性だけでも子どもが作れる世界が訪れたとしたら、女性をより蔑んで滅ぼそうとする思想が生まれる可能性だって否めないだろう。性的欲求は従順なロボットがかなえてくれる未来が近づいている。だとしたら、生まれてくる子どもの肌や目の色を選ぶことも当たり前になるに違いない。その時、私たちは必ずしもエルフのような容姿ばかりを選択するのだろうか。皆が白人男性になりさえすれば、果たして差別は撲滅できるのだろうか。

 『セックスロボットと人造肉』は他にも食肉や尊厳死をテーマに、テクノロジー関係者に幅広く取材をした結果がまとめられた良著である。賛否両論を並べるジャーナリストらしい態度に安心感がある。一方で、インタビュー相手の英語訛りを都度明記するところに引っ掛かる。著者としては臨場感を醸し出すための無意識の表現なのかもしれないけれど、英語を第一言語とせず、「正しい」イギリス英語を話すことのできない私たちからすれば、どうしたって対等に扱われていないように感じてしまう。見た目をどれだけ白人に似せたとしても、住む場所や話す言葉によって生まれる差別は無くならないと分かるのだ。結局、どんな世界を作りたいのか。テクノロジーの進化が後戻りしないことは歴史が認めているのだから、早々に議論していかなければならないと思うのだ。場合によっては古典を古典として眠らせる勇気も必要だろう。

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