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本棚のちから|積読と読書体験

大学教授がテレビや雑誌のインタビューを受ける際に研究室を使うことは当然で、その背景にはたくさんの本が並んでいることが定番です。それは図らずとも、権威付けを行なってきた側面があります。しかし、誰もが動画配信を行う時代に、これを真に受けて良いのでしょうか。蔵書をごく私的なものと捉えれば、本棚には幾つかのちからがあるわけで、それらは大いにデジタル化の影響を受けていると思うのです。

 先日、ヘイト発言により炎上したタレントのYouTube動画。この背景に映る壁一面の本棚を「借景」と表現するコメントが見受けられた。借景とは日本庭園などにおいて、外の景色までを庭の一部とし、その景観全体をデザインする技法のこと。山や寺などを背景に、庭の内から外までの連続性を表現する。件の動画においては、知の象徴でもある書籍の背表紙を借りて、あたかも自分の見識・発言とつながりがあるかのような見せ方をしていると、憤る方々がいらっしゃったのだ。そこに実際にどんな本が並んでいたのかは見てもいないけれど、本当に壁一面の書籍を読み込んでいたならば、おそらく人権に対する誤った見識を披露することもなかっただろう。一方、問題はこれがフェイクかも知れないというだけではなく、本を読んだであろう著名人の動画を見ることによって、知識を得られたと思う視聴者が多いことにもあると指摘されている。

 本は著者の視点を借りて、物事を捉える機会を与えてくれる。それは小説でも、ビジネス書でも、エッセイ集でも変わらない。書き手の経験や思考をなぞることによって、何人分もの人生を仮想体験することができる。この行為は本を選んで手に取るところから始まっているとも言われている。書評家・永田希氏は著書『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)において、本を読むことの曖昧さを指摘する。一冊の本を例えどんなに深く読み込んだとしても、そこに込められた著者の想いを完全に理解することは不可能であるし、数ヶ月も経てばその内容なんてすっかり忘れてしまうのだから、誰しもその本を「読んだつもり」になっているだけなのかもしれない。同じように、タイトルと目次を読んだだけでも、ある程度の内容を予測して購入しただけでも「読んだつもり」になれるのであれば、積極的に「積読」をしようというのが本書の主張だ。ただし、闇雲に積むのではなく、しっかりと手入れをする中で、自分なりの文脈を形成することが求められる。これは一般的に本棚の中で行われる。

 雑誌WIRED日本版の元編集長・若林恵氏のQuartz Japanへの寄稿「Guides:#66 積読のライブラリー」によれば、欧米において、読まない本を買い集める行為は収集癖に類する依存症として、ネガティブに扱われてきたという。そのため、日本語の積読にあたる英語表現はない。それがここ数年、「Tsundoku」として、一般化しつつあるというから面白い。情報の溢れる時代にせめて本を積むことで、「知らないことすら知らない(未知の未知)」状態を、「知らないことを知っている(既知の未知)」状態に変えることができる。その必要性が認められようとしているのだろう。「知らないことすら知らない」ことはGoogleで検索することもできない。情報がインターネットにあるのか、自分の本棚にあるのかでは大きく違う。だからこそ、自分が積んでおく本の整理整頓が欠かせないのだ。

 そうなると本棚というのは、とても私的なものに見えてくる。自分が過去に知りたかったこと、これから知りたいことが一同に会している。それは普段、会話をしていても、なかなか他人に共有することのない個人的な情報だ。実際、友人に面白かった本を勧めることはできても、本棚を見せることは、どこか気恥ずかしかったりもするだろう。他人を招き入れられる部屋の本棚は演出がなされている。なるほど、YouTuberの後ろに映る本棚は、いわゆる小道具に過ぎないのかも知れない。フェイクである可能性を疑えば、本人の見え方も変わってくる。その人の真の本棚を知ることができるのは、家族やそれに近しい関係性の人だけなのだ。子どもの頃、父親の本棚に並ぶ本の背表紙を眺めていたことを思い出す。タイトルからだけでも想像できる世界は広い。もしかすると、それが初めての読書体験だったのかも知れない。

 書籍の電子化が進む現代に、本棚もスマートフォンの中に収まろうとしている。強固なセキュリティの下に隠れようとしている。それは本人以外に唯一アクセスが許されていた身内、特に子どもたちからもアクセス権を奪ってしまう。親の読書量が子どもの読書量を決めると言われているのだから、この影響は決して無視できないものだろう。本をよく読む子どもは両親の本を読む姿だけでなく、両親の本棚を見て育つと思うのだ。彼ら彼女らは多くの本の背表紙を眺めることで、知らないことが多いことを知っている。中学生ぐらいになれば、それらを勝手に読んでみたりもして、一つずつ、知らないことを知っていることに変えていく。この読書習慣は大人になっても続いている。物理的な本棚の消失は、残念ながら本を読むことを知らない大人を増やしてしまう。そんな人々が、本を読んだであろう著名人の動画を見ることによって、知識を得られたと思ってしまうのではないだろうか。まずは本を読むことを知る必要があると思うのだ。

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