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アマチュアとしての態度|優しい地獄

追体験を目的に本を読むならば、人類学者イリナ・グリゴレ氏の著書『優しい地獄』は古い社会主義が市民にどう映っていたのかを教えてくれます。そこは自由も責任も希薄な世界。自由を得た私たちは、無責任を避けるためにもアマチュアとしての態度が求められていると思うのです。

 Instagramにポストした写真を使わせてほしいと、立て続けに連絡をいただいた。友人とボット以外にフォロワーのいない地味なアカウントを動かす理由は、自分が使ってよかったモノやサービスの感想を作り手に届けたいからぐらいなものなので、それが叶ったと思うとありがたい。しかもこれがブランディングに気をつかうB2C企業からだったりすると、彼ら彼女らのイメージを壊さない程度に前向きな写真が撮れたのだと嬉しくなる。下手の横好きとして冥利に尽きる。一方で顧客の善意に便乗した安上がりなマーケティング手法だと否定的な意見もある。顧客の声を紹介することは、口コミサイトができる以前から当たり前のやり方だったにも関わらず。裏にはプロのフォトグラファーやイラストレーターの仕事を軽んじる姿勢があるのではないだろうか。

 私も愛用するカメラのメーカー・キヤノンの製品サイトを見ると、レンズ交換式カメラは「プロフェッショナル」、「ハイアマチュア」、「ミドルクラス」、「エントリー」の4種類のモデルに区分されている。想定する使用者とカメラの性能とが混在する分類は、整理学上の違和感を除いても、私たちを惑わせる。ハイアマチュアモデルを使う私はハイアマチュアを名乗っても良いものなのか。プロでもないのだから、ミドルクラスで十分かも知れないと思ったりもする。そもそもアマチュアとハイアマチュアの違いとは何なのか。「#my_eos_photo」のハッシュタグでキヤノンの公式アカウントに紹介される顧客の写真はどれもプロフェッショナルなレベルだ。主たる生計を撮影技術に頼る人だけがプロのフォトグラファーと定義される。

 若かりし頃は友人の結婚式で写真を撮ると喜ばれた。そこにはもちろんプロのカメラマンが入っているのだけれど、彼ら彼女らの写真は美しすぎて、気恥ずかしくて他人に見せられない。SNSで公開するにはハイアマチュアの写真がちょうどいいと言われて笑った記憶がある。だからこそ、改まって頼まれた際には丁寧に断らなければいけない。一世一代の大舞台に失敗しない人だけがプロフェッショナルに分類される。フォトグラファーが全身を黒で統一する理由は目立ちたくないからだけではなく、被写体に反射して映り込むリスクを減らすためなのだ。十分な準備と覚悟がある。私たちアマチュアには、アマチュアとしてわきまえるべき態度があるだろう。

 こうしてテキストを書いていても、その考えは常に頭をよぎる。たとえフリーの随筆文であっても、いわゆるアマチュアとして、専門性を持たない領域についてどこまで言及しても良いものなのか。言論の自由は誤った情報の流布を認めない。誰しも、自分がプライドを持っている分野において、著名人の間違ったコメントを正したいと思ったことがあるだろう。見聞きしたものを軸に、せめて出典を明確にするスタイルを大切にしたい。職業選択の自由が保障される社会にいるからこそ、プロフェッショナルな方々を尊重したいと思うのだ。

 人類学者イリナ・グリゴレ(Irina Grigore)氏の著書『優しい地獄』(亜紀書房、2022)を読んで、世界には子どもたちが特定の職業を目指すことすら許されない社会があると気付かされる。社会主義政権下のルーマニアで育ったグレゴリ氏は映画監督になることを夢見て、映画大学への入学を志願するも相手にされない。入学できる人は入試前に決まっているし、そもそも女性は映画監督に相応しくないとされていたのだ。地方出身の男性は計画経済を回すための労働力としてしか扱われず、女性はそのストレスのはけ口にしかなり得ない。その後、日本映画、日本文学と出会って、日本に渡ることのできたグレゴリ氏はそれだけの運と才能に恵まれていたに違いない。映画こそ撮られていないけれど、日本語で書き綴られるエッセイは壮絶な過去と今とを独特な視点で結ばれていて素晴らしい。そしてこれがオートエスノグラフィー(autoethnography)だと知って納得する。

 オートエスノグラフィーとは社会学や心理学などで用いられる質的調査方法のひとつで、過去の経験の記述を通じて、その場に在った文化や社会の意味を理解しようとするものだ。すなわちグリゴレ氏の記したテキストは人類学者としてのプロフェッショナルな文章だったのだ。だから私たちは必然的に、そこから社会のあり方について考えさせられる。田舎と都会、女性と男性、子どもと大人、そして社会主義と資本主義。「優しい地獄」というタイトルは、5歳の娘さんが資本主義に染まる日本を皮肉った表現だという。私たちは農薬や遺伝子組み換えによって自然を壊しながらも、いつでもどこでも好きなものを食べられるような社会を作っている。自由には責任が伴う。

 プロフェッショナルはこれを分かっている。責任を果たす人だけが仕事を得続け、生計を立てられるのだと知っている。誰もが写真を撮れ、映画を作れ、文章を書ける時代だからといって、気軽にプロのモノマネをしてはいけない。さもなければ、世に無責任が蔓延ってしまう。それこそ「優しい地獄」。私たちにはアマチュアとしての態度が求められていると思うのだ。

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