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aftersun アフターサン

ポップコーンは買わない。vol.141

あらすじ

父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。

11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。

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お父さんという肩書きの重荷

「お父さん、、大丈夫か…大丈夫じゃないんだろうけれど、、頑張ってくれ。。」

と心でずっと声をかけ続けていた。おそらくこの声がけも本人からすると、苦痛に感じてしまうのかもしれない。

精神的に不安定、つまり自死に近い状態にある父親の姿は子供にとっても辛いことだろう。私はそのような経験はないが、親も大なり小なりストレスを抱えて生きているだろうし、子供である私に時には縋りたい気持ちもあるだろう。

私自身は現在独身であり、子供もいないが、自分が父親になって、子供もある程度大きくなってという想像がまだできない。つまり、その時になってみないとわからないし、自分が父親らしく姿を変わるとも思えない。

人生のステージがあるが、結婚や出産、子育て、転職や起業、定年など段階を経ていくが、それを経たとしても自分という人間は変わらないはずなのに、人は無自覚に何か見えないものに囚われてしまう。

ではなぜ人間は自らを死に追い込んでしまうのか。

そこまで追い込まれたことないから、まだわからない。

何かの責任を背負わされる年齢、立場にないことがあるのかもしれないが年齢を経るごとに責任が大きくなって、何か人生で失敗した時に立ち直れなくなってしまうくらいに追い込まれてしまい、首がまわわなくなって、死を選んでしまうという流れ。もちろんこんな単純な話ではないとは思うがなんとなく社会の空気みたいなものに飲み込まれていった末路なのではないかと思う。

本作は主に、父と娘しか出てこないので、あれ、母親は?と感じてしまうが、おそらく離婚していて定期的に会う中でのバケーションの一幕なのだと思う。

直接言及されていない中でも、自分の親の未熟さ度合いを知ることになる。

自分にも親がいるが、親も子供が生まれたからって完璧な父親、母親になれるわけじゃないし、いろんなことに不安を覚えるし、イライラもするし、時には全てを終わらせたいと思うこともあっただろう。

子供は親のそういう未熟な姿は見たいと思わない。
母親らしくいて欲しい、父親らしくいて欲しい、これは自分が子供あることを自覚したい甘えなのかもしれない。おそらくそうだ。
でもそういう線引きがあることでいい関係性を築けることもあると思う。
そういった子供からの視線、圧力も親は結構きつかったりするんだろうけど。

冒頭に「お父さん」と言及したが、そのラベリング自体も相手に圧力を与えてしまっている可能性がある。
一部お父さんの性的マイノリティを表す場面も描かれているが、そう言った自身の状況と現実との乖離に苦しむ場面も胸が痛かった。

娘のソフィがこのバケーションの時の父親と同じ歳になって、その時の映像を見ているシーンが出てくる。
彼女の視線はその時にはわからなかった父親の気持ちがどうやらよくわかる、というような様子だった。

自分も想像でしか親の気持ちは想像することができないし、それすらも難しい同世代の人間は多いと思う。
その立場、その年齢にならないとなかなかその人の気持ちを理解することはできない。

そのとき、その立場になってみないとわからない

かなり話は変わるのだが、佐藤と若林の3600というポッドキャストをご存知だろうか。
どきどきキャンプの佐藤満春と若林正恭が1時間ざっくばらんにトークを繰り広げる番組で、オーディブルにて独占配信されている。

2024年現在、佐藤さんと若林さんは同い年の45歳。彼らのトークを聴いていると、健康に関すること、主に自律神経や仕事での立場による立ち回りの難しさ、若い時との比較などの話が展開される。リスナーからの悩み相談に乗る時間もあったりして、その中で、すぐに結果が欲しい若者の悩みが紹介されていた。

実際どんなことを言っていたか具体的な言及は覚えていないが、確か若林さんは、「歳をとってからわかることも多いよ」的なことを言っていて、でもその直後に、「でも若い時は結果欲しいよね。自分たちがそうだったし」「でも時間が解決することもある」となんとも元も子もない回答を聞かせていただいたようにも思えるが笑
でも確かに一理ある話だなと思っていて、
その時になってみないとわからなし、その立場に立ってみないとわからない。若林さんなんかはあれだけスターになっているものの、星野源さんとのネットフリックスの番組では「成功した中での悩み」も数多く吐露されている。

だからこそ今もがくことも重要なのかもしれない。

この感想で言いたかったことを沿っているような沿っていないようなという感じだが。

最後に

本作の感想を通じて、自然と肩書きや年齢について考えることとなった。
誰もが歳をとるし、それに伴って劣化していく。それと引き換えに人間としての円熟み、雰囲気の醸成はその人の行動、経験に付随してくるものだと思っている。それぞれ生まれてくる場所、時間的なタイミング、性的なマイノリティや男女差、年齢差など、当事者でなければわかるわけもないと切り捨てるのではなく、想像して寄り添うことが優しい世界を築く上では重要になってくるのかなと思う。
本作の雰囲気から、入り込んで、気持ちが沈んでしまう人も中にはいるかもしれないが、自分の経験や親子関係と照らし合わせながら観てみると気づきもあるのではないかと思う作品だったので視点を変えてみることも見方としてはありだと思うぞ。


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