見出し画像

認知症の人から見える世界とは 僧侶が読み解く映画『ファーザー』

松本智量の「ようこそ、仏教シネマへ」は、「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。


映画「ファーザー」

フローリアン・ゼレール監督
2020年イギリス/フランス/アメリカ作品
 

 ロンドンの屋敷に独り暮らしをしている81歳のアンソニー。通いで世話をしてきた娘のアンは、父のために介護人を手配するのですが、頑迷なアンソニーはことごとく拒否してしまいます。

 そんなある日、アンソニーは家の中に見知らぬ男性がくつろいでいるの発見します。誰だと問い詰めるアンソニーに男は、自分はアンの夫で、ここは自分の家であり、10年前から住んでいるというのです。アンは5年前に離婚しています。当惑するアンソニー。 
 そこに帰宅した女性は、アンと名乗りながらも全然別人。物語は一気に不穏な空気が満ちてきます。アンソニーの家は乗っ取られたのか?

 実はアンソニーは認知症が進んでいたのです。この映画は、認知症の当事者の目から見た世界です。アンソニーの、記憶と妄想と現実が混濁し、まるでつじつまが合わなくなっている世界を可視化した作品なのです。
 それは違った現実が同時進行するパラレルワールド。そこに迷い込んだ当人にすれば、何が本当か分からない、不安が膨らむばかりです。

 この作品は、自分が認知症になった時の疑似体験をさせてくれます。それを経てみると、人が抱える不安への対処に、大きなヒントを与えられた気がしました。アンソニーは、確かなものが何もなくなっている世界を生きるために、ただ自分だけは確かであろうと努めます。殻をまとった自分を頼りにします。そのことがかえって混乱と不安と恐怖を深めているのです。

 自分は確かな存在ではないと認めて殻を解くことが、不安を減じる道。お念仏が常々呼びかけてくださっているそのことを、ラストのアンソニーの表情から思い出しました。
 
松本 智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。東京仏教学院講師。
自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

 
※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。