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ひとつの見方に囚われるな。僧侶が読み解く映画『悪は存在しない』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。 

「悪は存在しない」

濱口竜介監督
2023年日本作品

 第80回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(審査員賞)を始め、各国の国際映画祭での受賞数は十以上。いよいよ日本で公開です。

 「悪は存在しない」というタイトルから、何を想像されますか。おそらくは、「ちょっと見は悪人のような人物も実はいろいろな事情と背景を持っていて、純粋な『悪』などない」というメッセージではないでしょうか。

 それは間違いではありません。しかしそれで終わる濱口監督ではありません。作品の終盤には予想外の展開があり、映画を見終わった時、あらためてこのタイトルの意味を誰かと語りたくなること請け合いです。

 物語の舞台は、長野県のとある高原。主人公の巧は、娘の花と2人暮らし。清流からの水汲みや薪割りを日課とし、自然の恵みを楽しみ喜びながら慎ましくも豊かに暮らしています。

 その土地に、グランピング場を作る計画が持ち上がります。町民を集めて説明会が開かれますが、そこで明らかになったのは計画の杜撰さ。このまま開業されれば水の汚染や山火事の心配があります。事業者である東京の芸能事務所から説明に派遣された高橋と黛は、町民からの厳しい指摘を、苦々しく思いながらも真当と認めざるをえません。そして2人は巧へ協力を仰ぎ……。

 「都会対田舎」とか、「開発対自然」などのような分かりやすい二項対立の構図はいずれも注意深く排除されています。もちろん「善と悪」も。その姿勢は親鸞聖人が大切にされた「有無の見を破す(ひとつの見方に囚われない)」に通じます。割れ切れないことは割り切らない。そして、ちゃんと戸惑う。それが生きる上での誠実というものです。
 
松本智量(まつもとちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。