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なぜ我々は、未来を予想せずにはいられないのか

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「過去」と「未来」です(本記事は2023年7月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。


   過去と未来は、密接に結びついている。

   ……などと書くと、何やら大仰な話になりそうなムードが漂いますが、私がそう思うのは、競馬の予想をする時なのでした。

 私は、大きなレースの時だけ馬券を買う、かる~い競馬ファン。たくさんの馬がいっせいに同じ距離を走った結果、どの馬が最も早くゴールするのか、はたまたどのような順番でゴールするのかなどを当てるのが競馬です。
競馬を始めた当初は、「未来のことなんて、わかるわけがないでしょう」と、お手上げ状態だった私。あの馬やこの騎手が好きとか、馬の名前が何となくイイ、といった感覚で馬券を買っていたのであり、しかしビギナーズラックというものもあって、少し当たったりもした。

 対して本当の競馬好き達は、真剣に予想をしています。もちろん、見た目の好き嫌いやら「何となく」やらによって考えるのではありません。その馬が過去にどのようなレースをしたか。また、その馬はどのような血統のもとに生まれてきたか。……といった過去のデータを付き合わせ、かつ騎手や枠順なども考慮した上で、予想しているのです。

 なるほど、未来というのは過去からつながる線の上にあるのだな。……と思ったのですが、しかしレースの結果は、必ずしも予想される線上ばかりに着地するわけではありません。馬という動物の上に人間が乗っておこなうのが競馬ですから、時に予期せぬ出来事もあるわけで、まったく人気の無い馬が勝ったりすることも。大番狂わせもあるのがまた、競馬の魅力なのでしょう。

 そして私は競馬の予想をしつつ、これはどの世界も同じなのかも、と思うのでした。経済の世界においても、過去のデータを積み重ねた上で、景気や株価といった未来が予想されています。が、時には過去のデータが全く反映できないような突発的な出来事もある。

 そのような大きなことではなくても、例えば夫婦喧嘩をして、
「この手の喧嘩は毎度のこと。一晩寝れば、相手の機嫌は直っているはず」
 などと思うのもまた、過去のデータを参考にした未来予想、ということになる。……のだけれど、時には予想に反して相手の機嫌がいつまでも直らずに、離婚の危機に陥ったりすることもあるのでした。

 私達は毎日の生活の中で、知らず知らずのうちに未来予想をしながら生きているのです。今の時間、電車は空いている「だろう」。あの人は待ち合わせに遅れて来るに「違いない」。きっと明日は晴れる「はず」。……などと、過去の経験値から瞬時に考えて、より良い方向へと進もうとしている。
将棋の藤井聡太七冠のような人は、過去と未来を結ぶ回路が、並外れて発達しているのだと思います。過去の対局データの蓄積を鑑み、様々に枝分かれした先まで先の展開を考えて、彼は勝利というただ一つの目的に向かっていくのです。

 「予想」は、過去しか知ることができない我々に許された、ささやかな抵抗なのでしょう。予想が外れることも多いけれど、それでも我々は、未来を予想せずにはいられない。そして「予想外れ」な出来事は、我々の生活に大きな衝撃をもたらす。……ということで私は、週末になると細々と競馬の予想をすることによって、未来へのアンテナを磨くつもりになっているのでした。


酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『日本エッセイ小史』(講談社)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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