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「娑婆」の本当の意味がわかれば、何倍も面白い名作落語【多田修の落語寺・辰巳の辻占】

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今回の演題は「辰巳の辻占」です。

 ある店の若旦那、お気に入りの芸者に会いに、辰巳にやってきます。店で芸者を待つ間、辻占菓子(今で言うフォーチュンクッキー)の占いを見ています。

 若旦那は芸者に会うと、「大金を使い込んでしまった。もう死ぬしかない」と、心中を持ちかけます。実は、これは芸者の本気度を試すためのウソです。芸者も心中する気はありません。店から出ると夜で、少し離れるとお互い見えません。それをいいことに、2人とも大きな石を川に放って、
飛び込んだように見せかけます。

 しばらくして2人が再会すると、芸者は「娑婆で会って以来じゃない」。

 話の舞台の辰巳とは、深川(江東区)のことです。辰巳とは南東の方角の意味で、深川は江戸の南東にあります。現在の辰巳(江東区)とは別の場所です。
 
 オチに出てくる「娑婆」とは本来、仏教用語でこの世を指します。「忍耐」を意味する「サハー」の発音を漢字にあてたもので、忍耐が必要な世界ということです。この「娑婆」がやがて、「閉じ込められた人にとっての外の世界」の意味になりました。

 江戸初期の文献に、囚人が外を娑婆と呼んでいた記録があります。芸者や遊女も外を娑婆と呼んでいましたが、やがて芸者のあいさつとして「お久しぶり」の意味で「娑婆以来」という言い方がされるようになりました。

 オチは芸者のあいさつと、「(未遂だったけど)心中する前にこの世で会っていた」をかけています。娑婆の本来の意味を知ってこそわかるオチです。 

『辰巳の辻占』を楽しみたい人へ、
おすすめの一枚
十一代目金原亭馬生師匠のCD「朝日名人会ライヴシリーズ83 金原亭馬生6 辰巳の辻占/紙入れ」(Sony Music Direct)をご紹介します。オチの伏線として、「娑婆」を数回強調しています。

多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。