お嫁に来た茄子と一夜を過ごした僧侶【多田修の落語寺・茄子娘】
ある村で、お寺の住職が畑で野菜を育てています。とくに茄子が好きなので、茄子に向かって毎日「大きくなったら、私の菜(おかず)にするよ」と声をかけています。
するとある夜、住職の枕元に若い女性が現れました。話を聞くと、畑の茄子の精が住職の妻(つま)になるために来たとのこと。茄子は「さい」を間違えたわけですが、せっかく来たのだからと一夜を共にします。翌朝、住職は戒律を破ったことを恥じて、修行の旅に出ます。5年経って帰ると寺は荒れ果てていましたが、5歳ぐらいの少女が住職を「お父さま」と呼びます。この子は何者でしょうか?
戒律は、修行僧の生活規則です。全250項目あり、そのひとつに性的な交わりを禁ずる邪淫戒があります。欲望は真実に到達する妨げになるので、さまざまな欲を慎むことが戒律に示されています。修行僧は戒律を守って行いを正し、それによって心を正していきます。心と体はつながっているので、行いを正せば心が正しくなり、心が正しければ行いも正しくなる、良い循環が生まれます。これを突きつめれば、真実に到達して悟りを開きます。
しかし、浄土真宗では戒律を説かず、親鸞聖人以来、僧侶も結婚します。それは「私たちが欲望を抑えきれなくても、仏さまはそのままに救いとる」が教えの柱のひとつになっているからです。それでも、欲を慎んで行いや心を正しくできるに越したことはありません。悟りにはとうてい及ばなくても、正しいことを心がけたいものです。
多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。
※本記事は『築地本願寺新報』に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。