『かもめ食堂』を観るたびに、人が元気になれる理由は? 僧侶が読み解く映画コラム
「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。
第80回 映画「かもめ食堂」
荻上直子監督
2006年日本作品
大きな事件は起きません。近ごろ増えているという「映画を早送りで観る人」なら5分で観終わってしまい、あまり意味のない映画だったな、という感想を漏らしそう。それは本当にもったいない。標準速度で観ても102分。そこにゆったりと流れる静かな時間に身を置いてください。
「環境音楽のような(浅い)映画」という評も多く見受けますが、私は逆に、いのちの根っこに栄養を注入するような深い作品と受け取りました。
舞台は現代フィンランド。日本人女性サチエは首都ヘルシンキで「かもめ食堂」という日本食レストランを開きます。当初はなかなか客が入らなかったものの、旅行者のミドリとマサコが店員に加わり、店は次第に賑わっていきます。
サチエの素性も、なぜこの地で食堂を開いたかの理由もはっきりは明かされません。それはミドリもマサコも同様で、彼女たちがこれまでどんな人生を歩んできたのかが語られることはありません。それでいいじゃない、というメッセージが感じられます。人と共に生きるということは、「いま、ここ」を大切にすることがお互いにとって大事だよね、という姿勢が見られます。そしてそれは、「いま、ここ」に執着もしないことも含みます。
ミドリはサチエに問います。
「もし自分が日本に帰ることになったらサチエさんは寂しいですか」
「寂しいですよ。でもずっと同じではいられないものですよね。人はみんな変わっていくものですから」
「いい感じに変わっていくといいですね」
「大丈夫。たぶん」
「諸行無常」にうなずいていく女性たちの姿に、ほーっとします。
松本 智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。東京仏教学院講師。
自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。