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「真実」という言葉は蠱惑的。だから、人は惑わされる 映画『ある男』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

『ある男』
石川慶監督 
2022年日本作品

 
 ハッピーエンド作品ではありません。バッドエンドとも言えません。物語は閉じることなく、観る者の日常を揺らし続けます。

 離婚し、一人息子の悠人を育てながら文房具屋を営む里枝の店に、ある日から大祐が通い出します。里枝と大祐は心を開きあい、家族となって、幸せで穏やかな日々を送っていました。そんな中、大祐は事故で急死します。

 大祐は実家とは疎遠になっていたのですが里枝が連絡をし、法要に訪れた大祐の兄は遺影を見て、この男は大祐ではないと断言します。

 自分が愛した夫「大祐」はいったい誰だったのか。
 なぜ、戸籍を誤魔化さなければならなかったのか。
 自分たちの日々は偽りだったのか。

 その調査を依頼された弁護士・城戸が、調査の過程で出会うさまざまな事実はやがて、城戸自身への問いとしても膨らんでいきます。自分は本当は誰なのか。自分は本当を生きているのか。自分は家族をどれだけ知っているのかと。
 
 「本当」「真実」という言葉は魅惑的です。それに「唯一」が付くとなおさら。だからしばしば、人は「唯一の真実」に惑わされ迷います。
 
 仏教は唯一を提示しません。あらゆるものは縁によって常に姿を変えていくと教えます。確かなものを求め、変わっていった中のひとかけらを握りしめ、こだわりを持つのが私。その心をお釈迦さまは「執着」と呼び、苦の源とお示しになりました。
 
 調べにより、「大祐」が誰であり、どんな人生を歩んできたかを知らされた里枝は、静かに笑いながらつぶやきます。
「私は、真実がどうであったかなんて、知らなくてもよかったんですよね」
  その真意をぜひ映画館でお確かめください。上映中。
 

松本 智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。東京仏教学院講師。
自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

本記事は築地本願寺新報の転載記事です。過去のバックナンバーにご興味のある方はこちらからどうぞ。

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