米津玄師「死神」の元ネタにも?【多田修の落語寺・死神】
ある男、仕事が失敗続きで金もなく「首でもくくろうかな」とつぶやきます。するとこの男に、死神が声をかけます。死神は男に、金儲もうけの方法を教えます。命が危なくなっている人の側にはその死神の仲間がいて、見ることができる人間はこの男だけです。死神が枕元にいたら助ける方法はないが、足元にいるなら呪文を唱えれば退散するから、それで稼げるとのこと。男はそれで金持ちになります。
後日、最初に会った死神が男を洞窟に連れて行きます。そこではたくさんのロウソクが燃えています。ロウソクは人の寿命を表していて、炎が消えるとその人の命も終わります。見ると、この男のロウソクが消えかかっています。その炎を新しいロウソクに移し替えれば寿命を延ばすことができますが、失敗すればそれまでです。男は炎の移し替えに挑みます。その結果は?
この落語の元ネタは、グリム童話「死神の名付け親」と言われています。この落語は、米津玄師さんが2021(令和3)年に発表した曲「死神」の題材になりました。
なお、「死神」という言葉は江戸時代の浄瑠璃で使われ始めたのであって、仏教用語ではありません。しかし「死魔」なら仏教経典にあります。死の比喩的表現です。たとえば『涅槃経』には、お釈迦さまであっても死魔を避けることはできないと説かれています(これは親鸞聖人の『教行信証』に引用されています)。この落語では、死神は普通の人には見ることができません。同じように、命の危機は気づかないうちに迫ってくるものです。
多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。
※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。