桜を散らす涙 (和歌・絵画)
表現したいことが内に溜まるばかり、
創作のいろはを知らない私が
初めて記事を書く今日の京都は、
しだれ桜も終わりかけの頃。
明日の予報は雨だそうで、
いよいよ散りきってしまいそうです。
(意訳)春雨が降るのは涙なのだろうか。
桜の散るのを悲しまない人などいないのだから。
桜を散らす雨を人々の涙に譬える、
なんと儚く美しい歌なんだろう。
と、ずっと思っていました。
こう読むもきっと正しい。
けれど、よくよく鑑賞してみると、
美しいだけの歌ではないと思われてきます。
桜を散らすのは人々の涙。
それは、桜の散るのが惜しいあまりに流す涙。
桜を惜しいと思うその気持ちが、また桜を散らす。
美を愛でる心が拍車をかける負のサイクルである。
愛の結果相手を死に至らしめた
ヒュアキントスやセメレの物語を彷彿とさせる、
悲劇の歌にも見えてくるのです。
知らんけど。
関西人十八番の締めの一言を添えて、
責任逃れをしてみました。
作者が何を意図したかは知らないし、
専門家が何て言うかは分からない。
でも、味わい方はこちらの自由なんで!
「これって、投稿後に気に入らない箇所が出てきた場合、というか、出てくるのはおそらく避けられないのだけど、編集できるのだろうか…」
そんなことも知らないまま、とりあえず
「はじめのいーっぽ!」してみました。
「はじめの一歩、のこしとく!」
ができるのは全国共通かしらん。
いずれにせよ残しておいたら
どんどん年月が経てしまうので、残しません。
最後に。
今回も、これからも、
完璧なる自分好みの意訳につきご勘弁を。
(思いの外硬い文章になっちゃった、笑)
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