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桜を散らす涙 (和歌・絵画)

表現したいことが内に溜まるばかり、
創作のいろはを知らない私が
初めて記事を書く今日の京都は、
しだれ桜も終わりかけの頃。

明日の予報は雨だそうで、
いよいよ散りきってしまいそうです。


 春雨の 降るは涙か 
 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ
(『古今和歌集』巻二・春下・88・大伴黒主)


(意訳)春雨が降るのは涙なのだろうか。
桜の散るのを悲しまない人などいないのだから。



桜を散らす雨を人々の涙に譬える、
なんと儚く美しい歌なんだろう。
と、ずっと思っていました。

こう読むもきっと正しい。


けれど、よくよく鑑賞してみると、
美しいだけの歌ではないと思われてきます。

桜を散らすのは人々の涙。
それは、桜の散るのが惜しいあまりに流す涙。
桜を惜しいと思うその気持ちが、また桜を散らす。

美を愛でる心が拍車をかける負のサイクルである。

愛の結果相手を死に至らしめた
ヒュアキントスやセメレの物語を彷彿とさせる、
悲劇の歌にも見えてくるのです。



知らんけど。


関西人十八番の締めの一言を添えて、
責任逃れをしてみました。

作者が何を意図したかは知らないし、
専門家が何て言うかは分からない。

でも、味わい方はこちらの自由なんで!


ジャン•ブロック「ヒュアキントスの死」
ギュスターヴ•モロー「ユピテルとセメレ」



「これって、投稿後に気に入らない箇所が出てきた場合、というか、出てくるのはおそらく避けられないのだけど、編集できるのだろうか…」

そんなことも知らないまま、とりあえず
「はじめのいーっぽ!」してみました。

「はじめの一歩、のこしとく!」
ができるのは全国共通かしらん。

いずれにせよ残しておいたら
どんどん年月が経てしまうので、残しません。


最後に。

今回も、これからも、
完璧なる自分好みの意訳につきご勘弁を。

(思いの外硬い文章になっちゃった、笑)

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