えりんぎ

文学部卒の保育士。

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モネの描く絵は、サビ抜きの寿司である。

 きっと誰もがそうであるように、幼い頃は、寿司はサビ抜きが当たり前だった。わさびは刺激が強すぎたし、魚と酢飯の素朴な味で十分だった。  絵画に明るくなかった幼い頃から、なぜかクロード・モネだけは知っていて、なんとなく好きだった。ぼんやりしていてよく分からないけれど、明るくて華やかな画面は、好きになるには十分だった。  いつの間にやら、わさびなしでは物足りなくなった。魚と酢飯の味だけでは些か甘すぎて、アクセントが欲しくなる。でも、出されたままだと多すぎて、鼻の頭がつーんと痛

    • 我流に和歌鑑賞〜「ゆる言語学ラジオ」ビジュアルシンカー回を聴いて〜

       しばし自分語りをば。  YouTubeチャンネルあるいはポッドキャスト番組「ゆる言語学ラジオ」が好きなのであります。半年弱前に偶然知ってからというもの聴き狂い、夢中なのであります。  最新回は、定期的に投稿される言語学そっちのけの、読んだ本があまりにも面白かったので思う存分語らせろ!と、喋りまくるシリーズのやつ。当該回の、あまりにも面白かった本というのが以下です。  この本を読んで語り手さんが考えたことなどを聴いて私が考えたことなどを書きます。  私が理解したところに

      • 奥の細道パロディ日記「寒夜の路」

        冴え渡る弦音が的を打つ、極寒の弓稽古。その帰り道、凍てついた内臓を溶かしたのは百三十円のコンポタだったーー 奥の細道風えりんぎ日記「寒夜の路」をどうぞよろしく⭐︎ 本当は3月初旬にあった出来事を、季節の整合性をとるために12月ということにしたのはここだけの話。そう、「コンポタ」は冬の季語で間違いありません。 奥の細道風えりんぎ日記「寒夜の路」 師走始めの寒夜、弓稽古す。冴ゆる弦音は的を打てども、矢は安土を穿ちたれば、腸凍るまで涙を落としはべりぬ。稽古終わりてちゃりんこ漕

        • ダナエみたいな万葉歌

          (意訳) 清らかな月夜に花を開く梅のように、 私が心を開いてお慕いするあなたよ。  清らかに潔白に、「君」を慕う純情の歌と捉えることもできるようですが、月が美しい夜に、梅が花を開いて月光を受け入れるという描写は、地下室に閉じ込められていたダナエの元へ、ゼウスが黄金の雨となって降り注いだ(そして子を宿した)神話にも似た、官能的な歌に見える気がします。  故に、夜空と梅花と月が一枚に収まった写真は、私にとっては18禁。

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          桜の気配(和歌)

          (意訳) 枝先に、今にもあふれんばかりに 花の気配がこもっている。 気持ちが先走って 桜の咲き誇る光景が、目に浮かぶようだ。  歌会で、この歌が、たっぷりと間を持って詠唱されている場面を想像してみましょう。テーマは「花を待つ」です。 い そ ぐ よ り て に と る ば か り に ほ ふ か な  ここまで聞いて、その場にいる人々は、キラキラと咲き誇る満開の桜を想像するはずです。 え だ に こ も れ る は な の お も か げ  そしてこの下の句が

          桜の気配(和歌)

          優しくてちょっとアホな和歌(万葉集)

          (意訳) 梅の花に降る雪を袖に包み 君に見せてあげようと、取り出すけれど すぐに消えてしまうよ  そこに美しいものがあるから、愛する人に見せたくて、反射的に手に取る。それがあっという間に溶けて消えてしまうものであることを忘れて。なんだか愛らしい歌です。雪の白さも相まって、純粋無垢な印象を強く受けます。  この和歌を知った時、隣に友人がいたので、「この歌かわいくない?」と共感を求めました。友人の返答はこうでした。 「なんか良守みを感じるな」  良守とは。  少年漫画『結界

          優しくてちょっとアホな和歌(万葉集)

          紀貫之の和歌 雪への眼差し

          (意訳) 雪は 万物を覆い隠し 世界を白く染め上げてしまうが、 水には、自身の色も失い消えるだけなのだ。  雪の性質を三十一文字にまとめただけの、シンプルな歌ですが、これがやたらと私の心に刺さります。降り積もったならば、圧倒的な存在感、重厚感、純潔感、そして畏怖の念をもたらす雪だけれど、水にはあっさりと消え去る、その不思議を思案する視点が好きです。  作者である紀貫之は、雪について他にこんな歌も詠んでいます。 (意訳) 雪は 降っては梅の花の散る景と混ざり合い我々を欺き

          紀貫之の和歌 雪への眼差し

          キノコと、愛車ワインレッドの悲劇

           とあるキノコは、怒り狂っていた。  某市に住む某キノコは、普段は自転車で高速突破する帰路を、激おこぷんぷん丸で歩いていた。相棒のワインレッドを、放置自転車として市に撤去されたのだ。某チェーンカフェ店の駐輪スペースがいっぱいだったので、限りなく駐輪スペースに近い歩道、いや、見方によっては駐輪スペースと歩道の境目に、致し方なくワインレッドを停め、店内に入った。その結果が、前述のとおりである。 「許容範囲内でしょ!」 「情けをかけてもいいくらい遠慮がちな停め方だったでしょう

          キノコと、愛車ワインレッドの悲劇

          大切な今と、懐かしい過去(和歌)

           いつかの日常が思い出になってしまった事が、日常がいつか思い出になってしまう事が、たまらなく悲しい。そんな気持ちになる事が、時々あります。  眠れない夜、なつかしい音楽を聴きました。  一時期どっぷりとハマって、何度も何度も聴いた音楽でした。大学の自習室で、気分転換に聴き耽ったり、眠気に襲われるままに子守唄代わりにしたものです。  夜も更けて早く眠りにつきたかったけれど、待っても待っても睡魔はやって来ず、しばらく眠れそうにないと諦めてイヤホンを耳に挿し、疎遠になっていた曲を

          大切な今と、懐かしい過去(和歌)

          『万葉集』最後の歌は、あけおめの歌

          (意訳) 真新しく清らかな、 年の初めを飾る新春の今日 しんしんと降り敷いて、 ますます積もり積もるこの雪のように めでたいことが重なりますよう。  あけましておめでとうございます!  明けたので、新年を寿ぐ一首をご紹介しました。  新年を寿ぐ一首であり、万葉集の掉尾を飾る一首でもあります。  格助詞「の」でしつこく繋ぎ、連ねた言葉の先にあるのは、「いや重け、吉事」(「ますます重なってくれ、よい事」)。新年の月並みな願いです。  そして月並みな願いであることが、この歌を

          『万葉集』最後の歌は、あけおめの歌

          閑話休題・ドライフラワーでハピネス

           年末なので部屋を整理していたら、あまりにも心躍る素敵な空間ができてしまいとってもハピネスです。  ちなみに、タイトルに据えた「閑話休題」は、余談の前置きとして用いるのは”誤用”らしいですが、便利な言葉は積極的に使っていく派です。これに代わる言葉が思い浮かばなかったんだもん。  以下、気に入った三枚の花の写真を作品名と共にお楽しみください。  ビードロも空瓶も、花が入ればそれは花瓶なのです!  今年、私の文章を読んでくださっていた方、通りすがりでスキを押してくださった

          閑話休題・ドライフラワーでハピネス

          初夢に和歌を。

           師走もあっという間に半ばを過ぎました。  街に出ればクリスマスを、スーパーへ行けば正月を、テレビをつければ年末を、こたつに入れば引力を感じる、愉快でさびしげな季節です。  そして、読む人も限られたささやかなえりんぎの記事では、ばっちり迎春に備えようと思います。  以前こちらの記事でさらっと触れるも、あえて深入りしなかった和歌を紹介します。  大学の講義で、教授が「参考程度に」と丸っこいかわいい字で黒板に書いて以来、私を魅了して止まない歌です。  作者も出どころもは

          初夢に和歌を。

          砧の音が催す黄葉(和歌)

          (意訳) 風が寒くなったので、 衣を柔らかくしようと砧を打つその時 ああ、萩の下葉は一段と色づいたようだ。  「衣を打つ」というのは、表面を滑らかにするために衣を砧(台)に置いて木槌で打つという昔の習慣です。  気候の変化によるものであるはずの黄葉が、砧の音によって催されたかのよう。  漸次的であるはずの黄葉が、歌に切り取られたこの瞬間に、一気に色濃くなったかのよう。  そんな、言葉によって表された音と色だけの世界が好きです。  もしかしてもしかすると、萩の黄葉は男性

          砧の音が催す黄葉(和歌)

          真夜中の和歌

          ※写真は真夜中のじゃがいもです。  殊勝にも9時頃眠りについた晩、真夜中にふと目が覚め、何時かな、とスマホを開くと「しし座流星群」の文字が飛び込んで来ました。すぐにベッドの脇の窓を開け、横たわったまま夜空を眺めました。よく晴れているようで、星がたくさん見えました、都会にしては。  流れないかなー、と、待つこと数十分。脳内には、二首の和歌が浮かんでいました。 (意訳) 真夜中、人々が深い眠りから目覚める。 遠くから、ちゃぷんちゃぷんと、舟の音が心地よく響いてくる。  我

          真夜中の和歌

          京都、賀茂川の北山橋辺りから河川敷の紅葉を拝もうと、自転車を漕ぎ出したらあまりに気持ちが良くて、気がついたら山の麓まで来ていました。 桜の葉が降り敷く、ノスタルジックな昼下がり🍙

          京都、賀茂川の北山橋辺りから河川敷の紅葉を拝もうと、自転車を漕ぎ出したらあまりに気持ちが良くて、気がついたら山の麓まで来ていました。 桜の葉が降り敷く、ノスタルジックな昼下がり🍙

          【エッセイ】灰の蝶(完全版)※下品な内容を含みます。

          職場の保育園で、焼き芋大会をした。 強い風が吹き、灰が舞い上がった。 一人の女の子が、空を仰いでこう言った。 「ちょうちょいっぱい!」 役割を終え、土に還るだけの燃えかすが、彼女には無数の蝶に見えたのだ。 なんて鮮やかな感性なのだろう、と、羨ましくなった。 なんて言ったって、 あの臭くて汚いうんこでさえ、彼女らにとっては 「おっきいのでた!」 と歓待し、 「ばいばい」 と手を振って惜別すべき存在なのだ。 「下品な内容を含みます」とタイトルに付したのは愚かだ

          【エッセイ】灰の蝶(完全版)※下品な内容を含みます。