ホーミー|掌編小説
(ブーン……)
コンビニ弁当を入れてダイヤルを回すと、電子レンジは低い唸り声で鳴き始めた。この鳴き声は、日に日に大きさを増している。
――さすがにもう寿命かな……。
大学に入り、ひとり暮らしを始めると同時に購入した電子レンジは、ついに5年目を迎えた。ある意味で、社会人1年目の僕より大先輩だ。学生時代からロクに自炊をしない僕にとって、最も酷使した「調理器具」であり、相棒と言える。
もうそろそろ楽にしてあげようかと思ったが、ガラステーブルの上でマイクロ波を浴びながらゆっくりと回るコンビニ弁当を見て、とりあえず今日のメシを温めてもらってから考えることに決めた。
(ブィーン……)
それにしても、この唸り声は1年前にじいちゃんが僕のアパートの玄関で歌っていたホーミーにそっくりだ。ホーミーとは、モンゴルの伝統的な歌唱法で、低い声と高い声を同時に発声する特殊な歌唱法だ。詳しい経緯は知らないが、じいちゃんはモンゴルの遊牧民と一緒に暮らしてホーミーを習得したらしい。
――じいちゃん、今どこにいるのかなぁ。
2年前にばあちゃんが亡くなってから、じいちゃんはなぜか海外へふらっと旅に出るようになった。一度旅に出ると、全く連絡が取れなくなる。
周りの人の心配をよそに、いつも突然僕のアパートに来て、「悟志! お土産だぞ!」と、タイ王室御用達の高級磁器、ミャンマーの天然翡翠のブレスレット、インドネシアの魔よけのお面など、奇妙なお土産をたくさん置いて、あっという間にどこかへ行ってしまう。急いで母に「じいちゃん帰って来た!」と連絡し、親戚が総出でじいちゃんを確保しようとするが、じいちゃんはその包囲網を巧みにすり抜けて、また海外へと見事な逃亡劇を演じる。
すっかり逃亡犯として定着したじいちゃんのことを思い出していると、突然電子レンジがカタカタと震え出し、ダイヤルが逆時計回りにぐるぐると回り出した。
――なんだなんだ!? どうした!?
(ブォーン……ウォンウォンウィンウィン……)
形容しがたい音を発する電子レンジを前に右往左往していると、急にめまいがして、視界が真っ白になった。視界に少しずつ色が戻って来ると、僕は草原の中にいた。
――これは夢……なのか?
ぐるっと周りを見渡しても、あるのは草原と青空と、定規で線を引いたような地平線だけ。その場に立ちすくんでいると、どこからともなく風が吹いてきた。緑の匂いがする。東京の鉄とコンクリートの匂いに毒され、すっかり忘れていた懐かしい匂いに、僕は思いっきり深呼吸をした。
ふと、草原がざわざわと不穏な音を立て、遠くから馬が一頭、こちらに向かって走って来るのが見えた。
――誰だ?
思わず身構えると、馬に乗っている人物に見覚えがあり、安堵した。
「じいちゃん!?」
「なんだ悟志、来てたのか」
じいちゃんが手綱を引くと、馬は僕の目の前で止まった。僕の背丈よりも大きく、筋骨隆々とした馬の肢体は、ひとつの完成された芸術作品のような造形美だった。
「来たと言うか、連れて来られたと言うか……」
「ほう、そりゃ複雑だ」
電子レンジでコンビニ弁当を温めていたら召喚された、なんて言ったら話がややこしくなるし、変人扱いされそうなので、黙っておくことにした。
「ここはどこ?」
「バルーマっていう中央アジアの国だ」
「聞いたことないけど……草原しかないんだね」
「だからいいんだよ。どこに行ってもガチャガチャと余計なものばかりでロマンがない」
じいちゃんはとにかく携帯電話が嫌いだ。いや、文明の利器がほぼ全て嫌いと言っていい。僕がスマートフォンをいじっていると、「ワシの前でそんなおもちゃを出すな!」と怒鳴ることもあった。
バルーマがどんな国で、どう成り立っているのかは分からないが、確かにじいちゃんにとって、僕のいる世界よりはロマンがありそうな気がする。
「ばあちゃんも一緒?」
「ああ、もちろんだ」
じいちゃんは胸ポケットから、満面の笑みのばあちゃんの遺影を取り出し、誇らしげに僕に見せた。
「ばあちゃんが一緒なら心配いらないか」
「みんなに言っとけ。ワシとばあさんとの時間を邪魔するなって。それと、ワシをつかまえようとしても無駄だと。はっはー!」
じいちゃんの豪快な笑い声が、風に乗って草原に散って行く。じいちゃんが笑っている姿が嬉しくて、僕もつられて「はっはー!」と真似して笑う。ばあちゃんが亡くなった時、もう見ていられないくらいにわんわん泣いていたから。
「さて、そろそろ行くか」
「次はいつ帰って来るの?」
「さぁ、分からんよ。元気でな!」
じいちゃんを乗せた馬は「ヒヒン!」と雄々しい声を上げ、草原の中を駆けて行く。小さくなって行く背中に手を振ると、じいちゃんと馬はあっという間に地平線に消えた。
そうか、じいちゃんは風になったんだ。そして、ばあちゃんと一緒に悠久の時を旅している。僕は少しだけ、そんなじいちゃんを羨ましく、誇らしいと思った。
ふと、風が止み、じいちゃんのホーミーが聞こえてきた。僕は目を閉じる。
――次に会ったら、ホーミーの歌い方を教わろう。
目を開けると、見慣れたワンルームのアパートの中だった。さっきまで大草原の中にいたせいか、やたらと狭く感じる。目の前には、ただの箱になった電子レンジがあった。
試しにダイヤルを回すが、もう電子レンジは歌ってくれない。
「じいちゃんに会わせてくれてありがとう」
そう言って、ダイヤルをゼロに戻した。
(了)
某ショートショートの公募に出して、箸にも棒にも掛からなかった作品を改稿しました。
改稿前の作品、改めて読んで、全然面白くなかった…。(;^_^A
こちらもどうぞ。