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「人生学校」での学びを変えるもの〜その(1)

(写真はスリランカはコロンボの市街地で:2016年1月撮影)

人生100年時代と言われています。

還暦まで達していない私が「人生」について何か書く資格があるだろうかと思いますが、55歳の視座で考えることについて書きます。

第二の人生

仕事中心に考えるなら、退職後に「第二の人生」と言える期間が100歳までの半分近くあります。

成人するまでのモラトリアム期間が18〜20年と考えると、退職は「折り返し地点」に過ぎないことになります。

そのようなことから、「第二の人生」における「セカンド・キャリア」が注目される様になりました。

「第二の人生」を考えるにあたっての大前提は「健康」であることです。

2000年にWHOは「健康寿命(Healthy Life Expectancy)」という概念を提唱し始めました。

「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」

「健康寿命」
WHO(世界保健機構)2000

世界一の長寿国である日本の平均寿命と健康年齢はこのようになっています。

   平均寿命  平均健康寿命  差
男性:80.98歳  72.14歳    8.84年
女性:87.14歳  74.79歳    12.35年

厚生労働省「第11回健康日本21(第二次)推進専門委員会資料」2018

平均健康寿命と平均寿命の差についてどのように考えるかについては様々でしょうが、「第二の人生」と呼べる期間が存在するということです。

入院=健康上の問題で日常生活が制限される期間

死後の命を信じるか否かは別として、全ての人間にはいつかこの世を去らなければならない時が来ます。

50歳になるまで、大きな病気をしたこともなく、病院に入院したこともなく、全身麻酔による手術もしたことがありませんでした。

そのような事もあって、「死」による人生の幕引きを知っていましたし、自分なりに受け止めているつもりでいました。

しかし、50歳を機に人生についての考え方が変わってきた様に思います。

2016年、50歳の誕生日の一ヶ月後に短い余命が宣告されるような病ではないのですが、難病を発症し入院も手術も経験しました。4年ほどかかりましたが、現在は寛解しています。

そして、2022年の1月にこれも命に関わる病気ではないのですが、短い入院を体験しました。

入院するのは病気や怪我など健康上の理由により、日常生活が制限されるためです。入院期間は一時的ではありましたが「健康寿命」として数えることのできない期間と考えることもできます。

私は合計の入院回数が10回になり、現時点での日本人の平均入院回数である10回と同数になりました。

あくまでも平均数ですから、一度も入院せずに生涯を終える人もいれば、10回以上入院する人もいるわけです。

しかしながら、日本人の平均入院回数に55歳で達してしまったので、それまでの50年とは随分違った意識を持つようになっています。

「命の有限性」をより意識するようになったように思います。

人生=命のある期間

100歳を超えて現役医師として活躍され、2017年に105歳で他界した日野原重明元聖路加病院院長は、78歳の時から始めた全国の小中学校で「いのちの授業」なる授業を教えていました。

その授業の中で子ども達に「命がどこにあるか?」をたずねていました。すると、ほとんど全ての子ども達は心臓をさします。

聴診器を使って心臓の鼓動を聞かせた後に、心臓は血を身体に巡らせるための大切な臓器だけれども、命ではない、命は「感じるもの」そして「目に見えない」ものであると説明します。

「命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」

「いのちの授業」日野原重明2006

命とは「一人ひとりの持っている時間」なのだと説明しました。

私が命の有限性を意識するということは、私に残された時間を意識するようになったということなのです。

もちろん、人はいつ死ぬかわかりませんから、その時間の「長さ」を意識することはできません。

しかし、「今」ある時間をより意識的に使うようになっているわけです。

あなたは、「今」どのように使っているでしょうか。

長くなりますので、今回はここまでにいたします。次回に続きます。

ここまでお読みくださってありがとうございます。



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