帰国隔離中「現在進行形の学び」〜3日目:人は○○で学ぶようにはできていない
(写真は隔離中のホテルの窓から眺める夕日:2022年1月13日撮影)
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
これをお読みいただいているあなた様も含めて、一人ひとりが「最高の自分」に向って成長し続けることに役立ちたいと願って書いています。
米国出張から帰国して6日間のホテル隔離期間、私自身の「現在進行形の学び」を書いています。
「現在進行形の学び」ですので、まとまりは不十分かと思いますが、結論めいていない「生のまま」の私の学びを開示できればと思います。
読んでくださっているあなたの成長のために、何らかのきっかけになれば、幸いです。
なぜ「学び」なのか?
帰国者の強制隔離(今でも監禁に近いなぁと感じる)をホテルの一室でするのに、なぜ「学ぶ」必要があるのでしょうか?そこから学ぶことなどあるのでしょうか?
命あるものは特別な何かをしなくても自然に「せいちょう」します。
日本語には英語で「Grow」という意味に相当する二つの「せいちょう」という言葉があります。
「生長」と「成長」です。
「生長」は、植物が伸びて育つ、生まれて育つことを意味します。物理的なサイズが大きくなっていくニュアンスです。植物の「せいちょう」には、この「生長」を用います。
「成長」は、同じように育って大きくなることを示しています。しかし、そこには成熟するという質の変化を伴う育ち方なのです。人や動物が育って大きくなる時には、物理的なサイズが大きくなるという変化に加えて、機能的な変化が加わりますので、「成長」になるわけです。
そしてこの成長には、終わりがありません。もちろん、身体的な発達はある年齢で成長が止まり、徐々に劣化していくのですが、質的な成長は止まることがありません。
身体の機能で一番最後まで発達し続けるのは、脳の発達です。
かつては、20代で脳の成長は終わり後は、衰えていくだけだと思われていました。
ところが近年の脳科学の発達により、脳も成長が終わってしまうのではなく、使えば使うほど「成長」することが判明されています。
ですから、私たち人間は死ぬまで「成長」し続けるように、つくられているのだと思うのです。
質的な成長には「学び」が必ず伴います。そして、「成長」を左右するのが、この「学び」でもあるのです。
「学び」続ければ「成長」し続けるわけです。「学び」をやめれば「成長」も止まるのです。
ですから、「学び」にこだわります。
「学び」続けるとは?
それでは、どのようにして「学び」続けるのでしょうか?
様々な研修や勉強会に出席すれば良いのでしょうか?
本を読んで情報を集めたり、知識を深めたりすれば良いのでしょうか?
ビジネススクールや大学院に入学すれば良いのでしょうか?
確かにどれも「学び」続けることに役立つと思います。
しかし、最もシンプルで基本的なものは、日々の「経験」から学ぶことです。
それもうまくいった事や楽しい出来事や状況という肯定的・積極的な「経験」だけではなく、失敗したと思えることや苦しい出来事や状況という否定的・消極的な「経験」を通して学ぶことができるのです。
そして、昨日の学びとして紹介した「メタ認知」もそのような「学び」の一つです。
1人で学ぶようにできていない
もちろん「メタ認知」を用いたり、「内観」などの方法で深く自分に探りを入れることを通して学ぶことができるでしょう。
また、日記を書くことを通しても「学び」を深めることもできます。
しかし、経験を通して「学び」を深めるために最も効果的と思われるのは、他者との関わり、それも「対話」を通してです。
深い学びのために「対話」が重要であることに注目して文部科学省の制定するわが国の学校教育の方針である「学習指導要領」でも、「主体的で、対話的で、深い学び」を目指すことがうたわれているのだと思います。
自分の考えや思いや気持ちというものを、他者に表現して伝えるという作業そのものが、経験を「学び」に変えてくれるのです。
自分の悩みや問題を信頼のできる誰かに打ち明けた瞬間に、心が軽くなったと言う経験や、何が問題にだったのかが分かった経験などをしたことがあるでしょう。
このプロセスを通して「学び」が引き出されてくるのです。
noteを書いていらっしゃる先輩たちが、noteを書き続けることで単に書く技術が高められただけでなく、「成長」したとふり返っていらっしゃるのも、対面でお話しをするわけではないけれど、文章を書くことで読者と「対話」をしているからに他ならないと思います。
私たち人間は1人で学ぶようにできていない
これが今日の現在進行形の学びです。
お付き合い頂きありがとうございます。
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