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今までの人生191(私のうつ病と体の不調29)

今日は母の病院の付き添いだ。
はっきりいって
しんどい!
でも仕方ない。
葛藤が止まらない。

膝関節のオペをするために
全身麻酔をしていいのかどうかを
いつもの内科先生と
心房細動のオペをしてくれた先生
との判断で
膝のオペができるかの
結果が出るようだった・・・

母から聞いてた話と違って
寝不足と自分の股関節通院をずらしてまで
付き添ったのに・・・

ただ全身麻酔大丈夫ですよ!

の結果を聞きに行くだけの事だった・・・

結局また母の整形の日に膝のオペを
いつどこの病院でするのかを話し合い
決定することになるようだ。

なんのために自分のやっと取れた
股関節痛の整形予約をずらしたのか。

はぁ・・・
私のイライラはどんどん募る。

母は心房細動が大丈夫なのと
膝のオペができることに
ホッとしているようだった。

母の気持ちは分かる。
母の体も大事だ。

でも結果を聞くだけなら1人で行けたのでは?

自分の体のことを後回しにした分
多分うつ病と痛みで
モヤモヤが限界に達する。

診察のために持っていった
データや書類は私のリュックに入れていった。

先生から返してもらった後
私は母の行動を無視し
リュックに返却された書類をしまっていた。

母は支払い窓口に向かっていたが
どこに並んでいのか分からず
私が行くまで黙って突っ立っていた・・・

もう何もかもが不安なのだろう。
でも私の疲れとイライラは限界を超えていた。

黙って突っ立っている母から
受診票を奪い取り支払い窓口で支払いをし
私は病院から母を待たずスタスタ出ていった。

私も股関節が痛いので
スタスタといっても
右足を気にかけながら歩いているので
母はすぐ追いついてきた。

そこで私は「はっ!」と気づく。
被ってきた帽子がない!

病院内で脱いでから持ち歩いていたが
どこかに置き忘れたか
落としたのだろう・・・

病院の帰りに孫の誕生日プレゼントを
買って帰りたいとショッピングモールに
寄る予定になっていたし

1時間に1本しかないバスを逃すのも大変だ。
私は帽子を諦め

「汚れてきていたし新しいの買えばいっか。」

と、母に言いバス停に向かった。

昼食は母がご馳走してくれた。
感謝の気持ちだろう・・・

その後孫の服を選びまた1時間に1本しかない
バスに乗り実家へ帰宅した。

母も私もヘトヘトで痛いとこだらけだ。
でも私にはまだやらなければならない事があった。


今日はここまで


朝からバタバタと忙しく
イライラとモヤモヤが止まらない一日。
母も私もあまり流れの良くない日だっただけだろう
とにかくやっとゆっくりスマホを触れるが
寝る時間だ・・・

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。