山茶花

ネット小説家。趣味は坐禅とランニング。カクヨムにて創作小説を公開しています。Disco…

山茶花

ネット小説家。趣味は坐禅とランニング。カクヨムにて創作小説を公開しています。Discordは山茶花#5713。 マストドン https://ichiji.social/@sznk

マガジン

  • 山茶花日記

    日々の筆の遊び

最近の記事

  • 固定された記事

物語論勉強会のお知らせ

【第19回 物語論勉強会】 (日時) 6/25(日) 13:00-15:00 (場所) 勉強会用のDiscordサーバー (内容) 橋本陽介『物語論 基礎と応用』、大塚英志『ストーリーメーカー 創作のための物語論』の2冊を参考書として具体的な作品鑑賞を行います。 5月の会では、題材として、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を取り上げます。原作は4コマ漫画で、現在は第5巻まで出ていますが、基本的にはアニメに準拠して議論します。アニメは全12話で、Prime VideoやU-NE

    • 芥川龍之介「六の宮の姫君」 『今昔物語集』原話との相違点

      (イ)物語内容・挿話 ①姫君は、男との蜜月を過ごしていたある日、同衾している中で怪談のような物語を聞かされる。ある旅人が一時逗留したある宿で、謎めいた男に出会い、その男が予言をする。その予言が的中してその宿の女が死ぬ。この物語を聞いた姫君は、運命論を語る。 ②男が、父に同行して陸奥へ向かう。ここは共通点。ただし、男の不在の期間中、姫君は冒頭に描かれた貧苦を反復する様が描かれ、以前と同じように、それを見かねた乳母が頼りになる男を紹介してくれる。ただし、前回は姫君が悲しみにく

      • 【日記】R060108 グアダルーペ・ネッケル「桟橋の向こう側」

         たとえば、オルフェウスやイザナギが死者の国に行って帰ってきたり、アリスが不思議の国に、または千尋が油屋に行って帰ってくるように、しばしば、主人公が異界に「行って、帰ってくる」という形式が、物語の基本であると指摘される。第二十四回の物語論勉強会で題材となったグアダルーペ・ネッケルによる短編小説「桟橋の向こう側」(『花弁とその他の不穏な物語』収録)も、そうした形式に則った物語である。  ストーリーの本筋は、家庭でも学校でも冴えない日々を送っている少女と思しき「私」が、夏休みの

        • 【日記】R060103 プラットフォームとコミュニティ

           二〇二四年がはじまった。  二〇二三年に起こった出来事の内で印象的だったのは、よく行く大型書店で入口からすぐのエリアに家具が置かれるようになったことだ。店舗の面積が広くなったわけではないから、もともと置かれていた本棚たちを片づけて、その場所に椅子やテーブルを置いていることになる。かつてDVDレンタル屋として営業していたゲオが、スーパーのように食品や日用品を販売するようになったことを思い出させる変化だった。アマゾンやネトフリやユーネクストのような動画配信サブスクがしのぎを削り

        • 固定された記事

        物語論勉強会のお知らせ

        マガジン

        • 山茶花日記
          8本

        記事

          第23回物語論勉強会・横溝正史「人面瘡」 まとめ代わり記事

           大塚英志『ストーリーメーカー』は、「物語」を、それが備えている普遍的な構造から理解し、その上で「物語る」ことができるように設計された創作指南書である。このとき、読者にその「構造」を理解させる上で大きな役割を果たしている参照項が、ジョセフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』とウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』で、これら神話学や民俗学の知見を上手く応用して、Q&A形式でプロットを出力できるところまで煮つめた点で、読むものに感心を抱かせる。  ただし、実のところ、この二者からスト

          第23回物語論勉強会・横溝正史「人面瘡」 まとめ代わり記事

          【日記】R050418 村上春樹『海辺のカフカ』における詩的責任

           村上春樹の作品世界の移ろいは、しばしば本人の言をもって「デタッチメントからコミットメントへ」と言いあらわされる。村上は、「世間」からいかに距離をとって「個」である自分の世界を守るか、というデタッチメントを主題とする初期作品群から出発したが、海外生活や阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件を経て、『ねじまき鳥クロニクル』以降は、いかに個なる自分を保ったまま他者たちの世界に関わっていくか、というコミットメントが主題化していく、というわけである。『海辺のカフカ』は、丁度この転機と言え

          【日記】R050418 村上春樹『海辺のカフカ』における詩的責任

          【日記】R050412 個性化とキャラ化

          さいきんは次回作の構想とプロットを練っている。いまのところ物語論勉強会で学んだことを素直に使えている実感があって、自分が使っている概念的な道具を見直す目的で、河合隼雄や林道義のユングの解説書なんか読んだりもした。 彼らの語るところによると、ユングのいわゆる「個性化」というのは、ただたんに「珍しい特徴を備えた人」というわけではなくて、その備えた個性が、普遍性な価値を備えていなくてはならない。つまり、何らかの基準のもとで、公然と他に抜きん出るようでなければ、この意味で「個性化」

          【日記】R050412 個性化とキャラ化

          【日記】R050329 人工知能は稼いでくれるのだろうか

          話題のChatGPTとさいきんよく話している。肌感としては、シンギュラリティも間近と思える。いちおう現在の人工知能は仮説推論ができないということになっていて、人間並みに考えることはできないとされているのだが、その限界は課題としてクリアであり、しかも現時点でさえ、その仮説推論も全くできないわけでもないらしい。これはたんなる個人の感想だけれども、そんな話を聞いていると、かつて言われていたようにシンギュラリティには二〇四五年までかかるという気が、やっぱりしない。いわゆる「人工知能が

          【日記】R050329 人工知能は稼いでくれるのだろうか

          【日記】R050320 シリアスに関する覚え書き

          「死」というのが人間がシリアスになるために必要な虚構であり、その典型的なものが葬儀。そして、葬儀で扱われているのは「死者」にすぎず「死」そのものではないことや、「死者」と「死」そのものの区別を詳らかにすることで、葬儀のシリアスさの偽善性を暴いていくことが一見可能なようだが、実は不可能で、その暴露によってなされているのはより手が込んだ(という意味でより悪い)偽善にすぎず、それがシリアスであることがその証拠となる。

          【日記】R050320 シリアスに関する覚え書き

          【日記】R041203 AIと私の来年

          私もまた、さいきんのAIの発達に驚かされている者の一人だ。「近い未来的にはAIがこんなことをやってくれるのかもしれない」ようなことは、早晩、来年か再来年の間には実現できてしまうのかもしれない。気になるのは、やはり、自分が深く関わってきた文学のような表現の世界のことである。いまの速度感が今後継続し、あるいは加速するようであれば、「AIがタイプライターのような道具となり、AIを上手く使いこなせることが創作のあらたな手段となる」という時代は、ひょっとしたら一個の「時代」としてさえ成

          【日記】R041203 AIと私の来年

          【日記】R040823 物語と物語以外のもの 続

          (前の日記からの続き)  しかし、反物語的言論じたいは珍しくない。「物語」一般の虚構性をあげつらう言葉を耳にしたことがないという人はいないと思う。「現実と物語の区別がつかない」といえば、たんなるバカのことだ。  これが、もう少し洗練されたものになると、「物語」とは私たちの思考に及ぼす悪癖であるように語られもする。たとえば、ロラン・バルト『物語の構造分析』によると、「物語」は、因果関係があきらかになっているわけでもない2つの出来事のあいだに疑似因果関係を設定して、それがほん

          【日記】R040823 物語と物語以外のもの 続

          【日記】R040818 物語と物語以外のもの

          私は永井均の本が好きで、ときどき読んでいる。その私が『翔太と猫のインサイトの夏休み』という本で読書会をはじめたのは、2015年の春だ。以来、ルノアールの会議室を借りて、毎月、この本を数ページずつ読みながら分からないところや気になるところを参加者とともに話し合うという会を続けてきた。いちおう疑問に思ったことは全部口に出すつもりでやっていたから、すごく遅々としたペースで読み進む会だったのだけれども、それでも3年あまりをかけて1周読み終わることができた。ただ丁度2周目に入って少しし

          【日記】R040818 物語と物語以外のもの

          【日記】R040804 感傷的な散文の悪

          感傷的な散文を読んだ。 その文章は、この世にひしめくがさつでデコボコしたものどもに書き手がぶつかっては傷を受け、いかにその傷が自分の存在の芯に食いこんで、もはやなにごともそこらしか始まらないかのように、おのれ自身を物語っている。 それでいて、それは「センチメンタル」が罵倒となるような文脈にたいする目配せも忘れず、一笑にふされるべき「センチメンタル」な愚劣さが世間にありふれていることは、重々承知であるかのように振る舞う。「私の感傷がそれと同一視されるのならば、読者のほうに手

          【日記】R040804 感傷的な散文の悪

          【日記】R040725 ファ美肉のラストを4通り想像してみる

           はじめにナレーションで語られるように、『異世界美少女受肉おじさんと』は、おっさんと元おっさんのラブコメである。  もう少し情報量を増やすと、もともとは32才のおっさんだが美少女として異世界に転生してしまった橘日向と、橘の武器として召喚されてしまった親友の神宮寺司が、RPGにありがちな「魔王を倒さなければならない」というミッションを女神から与えられて、冒険に満ちた旅をくり広げつつ、ラブコメもくり広げる物語である。実情を曖昧にぼかされているところではあるけれども、橘たちはお互

          【日記】R040725 ファ美肉のラストを4通り想像してみる

          【日記】R040721 運命と予感とその構造

          一般に、ミステリ作品は物語後半にその物語の構造が明かされるような作りになっている。それは探偵と犯人との戦いを物語るのだが、他方で、その「犯人」とは誰なのかという正体が伏されていたり、疑惑が宙吊りにされていたりしながら、展開していく。 さまざまに謎めいた事件の連続を追いながら、「それらの出来事は物語上どんな意味があったのか」ということが後半に明かされるのだ。そこに至ってやっと読者にも物語全体の構造が了解されるようになる。 そして、おおくの場合、その真相を語る「物語」の語り手

          【日記】R040721 運命と予感とその構造

          【日記】R040718 ファ美肉おじさんと

           次回の物語論勉強会の題材である『異世界美少女受肉おじさんと』を見ている。2周目だ。ノリがよくて楽しい。  あらためて語るのは野暮かもしれないけれども、この作品のユーモアを成り立たせているのは、神宮寺や橘が、自分たちにふさわしいと思っていた「物語」から、女神がおこした奇跡(異世界美少女受肉!)によって、突如として下ろされてしまったということだろう。  たとえば、神宮寺は、これからも橘と演じていくべき「友情の物語」を胸中に抱いているっぽいのだが、橘が美少女になってしまったこ

          【日記】R040718 ファ美肉おじさんと