【日記】R040818 物語と物語以外のもの

「自分の死っていうのはね、もちろん単に一人の人間がいなくなるってことじゃないけど、かといって、他をもって代えがたい特別の個性が消滅するてことでもないんだ。でも、そのこと自体がまた、誰にとってもあてはまるひとつの話になっちゃうんだな。いいかい翔太、話が飛躍するみたいだけどね、愛っていうのはね、どこまでいっても、結局は話なんだ。それに対してね、存在と無は、生と死は、究極的にはね、話じゃないんだよ。それはね、現実なんだよ。ただ、受け入れるべき現実なんだよ。」(永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』)

私は永井均の本が好きで、ときどき読んでいる。その私が『翔太と猫のインサイトの夏休み』という本で読書会をはじめたのは、2015年の春だ。以来、ルノアールの会議室を借りて、毎月、この本を数ページずつ読みながら分からないところや気になるところを参加者とともに話し合うという会を続けてきた。いちおう疑問に思ったことは全部口に出すつもりでやっていたから、すごく遅々としたペースで読み進む会だったのだけれども、それでも3年あまりをかけて1周読み終わることができた。ただ丁度2周目に入って少ししたころにコロナが流行って、会は中止になってしまった。

ところで、近況として、この会を、私がさいきん月イチでやっている「物語論勉強会」という企画のために作ったDiscordサーバーで復活させた。
 ちなみに「物語論勉強会」の方は、去年・一昨年と小説の新人賞で落選した私が、「物語」についてちゃんと考える力を身につけようとはじめた会で、内容としては、橋本陽介『物語論 基礎と応用』と大塚英志『ストーリーメーカー 創作のための物語論』の2冊を参考書としながら、毎月ごとに具体的な作品を取りあげてその構造を鑑賞するというものである。
 
 つまり、この2つははじまった経緯や目的がまったく異なる会であり企画で、ただたんにはじめた人間が私であるという偶然によって、たまたま1つのサーバーに納まっているのにすぎない。このまま2つがなんの意味もなく並んでいるのは美しさがない。だから、完全に後付けではあるけれども、2つをまとめる大きなテーマを設定できないか、いちおう考えてみようと思った。そこで、さしあたり見つけられるのが「物語と物語以外のもの」というテーマだ。

『翔太と猫のインサイトの夏休み』には、反物語と言えるような要素がある。たとえば、この記事の冒頭に引用した箇所がそうである。同時にここで語られている「愛」についてもまた別の個所で説明する下りがあり、そこまで引用すると無駄に長くなってしまうので省くが、ざっくり言えば、語られる「恋」と区別されるような「愛」には、成立条件として「歴史」が必要とされている。ここで橋本陽介の物語論を引用すれば「歴史」は「物語」の一種であり、したがって、それを踏まえれば、ここで語られる愛が話であるということは、愛の問題が物語の問題でもあることにもなるだろう。
 もちろん、『翔太と猫のインサイトの夏休み』を貫いているのは、そうした愛と物語の問題ではない。そうではなくて「話ではない」つまり「物語以外」である「存在」と「無」の問題である。この差異こそが、この2つを並べる意味となるのではあるまいか。ちょうど影絵において光の形をしることが影の形をしることでもあるように、物語と物語以外とを知ることになるとも言えるのではないだろうか。

続く


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