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『どうする家康』に思う
総集編(12月29日)を見た。
第1章「始まりのとき」(午後1:05~2:14)
駿府で平穏に過ごしていた松平元康が「桶狭間の戦い」を機に、乱世の荒波にのみ込まれていくまで。
第2章「試練のとき」(午後2:14~3:24)
徳川家康&織田信長 VS 武田信玄の戦い。そして、徳川家康の正妻・瀬名&長男・信康を巡る悲劇。
第3章「躍動のとき」(午後3:29~4:39)
織田信長が本能寺で討たれ
徳川家康の「堪忍」の精神
──「ならぬ堪忍するが堪忍」
という有名な格言(意味は「もう堪忍できないというところを、じっと耐え忍ぶのが、真の堪忍というものである」)の出典は不明だが、初出は薛瑄(せっせん。1464年死亡。享年76)の『読書録』の
──忍所不能忍、容所不能容、惟識量過人者能之。
(忍ぶ能はざるところを忍び、容るる能はざるところを容るる。ただ識量、人に過ぐる者、これを能くす。)
『養草(やしなひぐさ)』の
『徳川実紀』にみる徳川家康の死
元和2年(1615年) 1月21日、山西へ鷹狩。鯛の天ぷらを食べて発病。
1月25日、駿府城へ戻る。
4月17日、死去。久能山に葬られる。
元和3年(1616年) 日光に改葬される。神号「東照大権現」。
1.卷四十一 (元和二年正月に始り三月に終る)
元和二年丙辰正月元日。卯刻より黑木書院に出給ふ。御直垂なり。御太刀、御刀は、近臣是を役す。若君