──「ならぬ堪忍するが堪忍」
という有名な格言(意味は「もう堪忍できないというところを、じっと耐え忍ぶのが、真の堪忍というものである」)の出典は不明だが、初出は薛瑄(せっせん。1464年死亡。享年76)の『読書録』の
──忍所不能忍、容所不能容、惟識量過人者能之。
(忍ぶ能はざるところを忍び、容るる能はざるところを容るる。ただ識量、人に過ぐる者、これを能くす。)
『養草(やしなひぐさ)』の
──堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍。
あたりが出典であろうという。
※衣笠宗元『世諺叢談 出処註釈』(乾)
https://dl.ndl.go.jp/pid/757591/1/129
「堪忍」についての言及を漢籍に求めれば、蘇軾(そしょく)の「留侯論」あたりか。
※「鼂錯論(ちょうそろん)」からは「堅忍不抜(けんにんふばつ)」(「堅忍」=意志が極めて強く、我慢強く堪え忍ぶこと。「不抜」=固くて抜けない。意志が強く、何があっても心を動かさないこと。)という四字熟語が生まれている。
「古之所謂豪傑之士」であり、天下之大勇である徳川家康は、息子・家忠に対して、次のように戒めている。
「手の堪忍」とか、「足の堪忍」がどのようなものか知りたいものである。
現在、岡崎で「堪忍」と言えば「それだけはやめて、許して」の意味になると思うが。