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徳川家康の「堪忍」の精神

──「ならぬ堪忍するが堪忍」

という有名な格言(意味は「もう堪忍できないというところを、じっと耐え忍ぶのが、真の堪忍というものである」)の出典は不明だが、初出は薛瑄(せっせん。1464年死亡。享年76)の『読書録』の

──忍所不能忍、容所不能容、惟識量過人者能之。
(忍ぶ能はざるところを忍び、容るる能はざるところを容るる。ただ識量、人に過ぐる者、これを能くす。)

『養草(やしなひぐさ)』の

──堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍。

あたりが出典であろうという。

※衣笠宗元『世諺叢談 出処註釈』(乾)
https://dl.ndl.go.jp/pid/757591/1/129

 「堪忍」についての言及を漢籍に求めれば、蘇軾(そしょく)の「留侯論」あたりか。

古之所謂豪傑之士者、必有過人之節、人情有所不能忍者。匹夫、見辱、拔劍而起、挺身而鬥。此、不足為勇也。天下有大勇者、卒然臨之而不驚、無故加之而不怒。此、其所挾持者、甚大而、其誌、甚遠也。

古(いにしえ)の所謂(いわゆる)豪傑の士は、必ず人に過ぐる節あり、人の情に忍ぶあたわざる所あり。匹夫(ひっぷ)は、辱(じょく)に見(まみ)えれば、劍(けん)を抜きて起ち、身を挺(てい)して鬥(たたか)ふ。此れ、勇と為すにたらざる也。天下に大勇あれば、卒然として之に臨んで驚かず、故無く之を加えても怒らず。此れ、其の挾持(きょうじ)する所(ところ)は、甚だ大にして、其の志し、甚だ遠(えん)也。

昔の、いわゆる豪傑の士は、必ず人よりも節制(堪忍)の心が強く、普通の人であればとうてい我慢できないことでも耐え忍ぶ(堪忍する)ことができた。凡人は、恥をかかされれば、剣を抜いて立ち上がり、(雪辱のために)命がけで戦う。これは勇気というには及ばない。天下に偉大な勇者がいれば、突然に侮辱されても驚かず、理由なく恥をかかされても怒ることがない。これはその内に秘めたる(怒りの)感情がとても大きいとしても、その志すところが(怒りよりも心の)深遠にあるからである。

https://kokugonomado.meijishoin.co.jp/posts/1276

※「鼂錯論(ちょうそろん)」からは「堅忍不抜(けんにんふばつ)」(「堅忍」=意志が極めて強く、我慢強く堪え忍ぶこと。「不抜」=固くて抜けない。意志が強く、何があっても心を動かさないこと。)という四字熟語が生まれている。

「古之所謂豪傑之士」であり、天下之大勇である徳川家康は、息子・家忠に対して、次のように戒めている。

 堪忍の事、身を守るの第一に候。
 何事の芸術も堪忍なくては致し覚え候事もならぬ者にて候。
 天道に叶ふ身の我儘致さぬ堪忍、地の理に叶ふは先祖よりの一郡一城を失はぬ堪忍、人和を得るも、我儘気随致さぬ堪忍、その外身體尽く堪忍を用ふる事に候。
 仁は我れ召仕ふ者并民へいみん百姓の賞罰を正しく致し、疎きをめぐみ、親しきをも罰す。是れ仁の堪忍なり。
 君に仕へて身命を顧みず、一度も約をたがへず。是れ義の堪忍なり。
 人の事を先にして身の事を後にし、起るより寝るまで行儀正しくする。是れ礼の堪忍なり。
 我に慢にして人をないがしろにする事をせず。是れ智の堪忍なり。
 君父につかふるより始め、假所にも表裏軽薄をなさず。是れ信の堪忍なり。

 古法を守り、我物好をせず、美器美服美色に心を動かさず。是れ目の堪忍なり。
 美香を好まず、穢けがらはしき匂ひにもおかされず。是れ鼻の堪忍なり。
 雷又は戦場にて弓鉄砲の音にも恐れず、先陣に進み、高名を遂ぐる。是れ耳の堪忍なり。
 酒を過さず、美味を食せず、是れ口の堪忍なり。
 其の外、手足にも堪忍あるなり

 右の堪忍を一生の間全く守る人は、大身は家を起し、国を治め、小身は身上を起し、家を修む。堪忍のなる事は、十全に至らねば、家をも国をも起す事はならぬものなり。
 假令(たとへ)ば、十の内を八つ、九つ守り、一つ、二つ破り候へば、其の破れし所より夫れ迄の堪忍、徒に成行ものにて候。
 大方の堪忍強き者の是れまでは堪へしが、「もはや堪忍ならぬ」と申す事、まま申す事に候へ共、夫も「義によつて破るは破る」と云ふといふも行はるるものにて候得ども、多くは我が智恵短きより我儘に落入りて、身を果たし、家を破り、国郡を失ふ。たとへば、弓を射る者の手前を能き引渡しはなれにてゆるみ、または持ち出し抔などして初めの能き手前も徒らになる様なる者にて候。兎角、堪忍の十全ならぬは堪忍の詮はなきことにて候。日本にては楠正成一人にて候。「初めより、一向、堪忍の気なし」と言葉にも出し、行ひしは、近世、武田勝頼にて候。夫れ故一生の行ひ道に叶はず先祖より数代の家を失ひ身を果し候。織田殿は近世の名将にて、人をよく仕ひ、大気にて智勇もすぐれし人にて候へども、堪忍七つ、八つにて破れ候故、光秀が事も起り候。太閤様には、古今の大気、智勇至つて堪忍強かりけるゆえ、卑賤より二十年の内に天下の主にもなられ候程の事に候へ共、余り大気故、分限の堪忍破れ候。大気、程よき事はかく候得共、夫も身の程を知らず、万事花麗に過分の知行行ひ、其の外、人に施すは大気にてはなく、「奢り」と申すものにて候。知行、其の外、施す品も其の分にあたつてこそよく候へ。

大御所(徳川家康)が御所(徳川秀忠)に送った2月25日付書状(清水橘村『家康教訓録』)
https://dl.ndl.go.jp/pid/754629/1/81

「手の堪忍」とか、「足の堪忍」がどのようなものか知りたいものである。

 現在、岡崎で「堪忍」と言えば「それだけはやめて、許して」の意味になると思うが。

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