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あゝ素晴らしき『はいからさんが通る』

 これまで幾たびか書いてきたが、僕は「推し」文化と距離をとっている。
 現象としては、僕だって、綾波レイを崇敬しているため、別に不可解なものと捉えているわけではない。
 それどころか、まこと信仰の類であるならば、羨ましくもある。
 しかし、貢ぐという表現が苦手なのだろうか。自身はある種、考察の民であって、グッズ購入によって指示する派閥でないからか。いずれにしても、自分には推しがいないと考えていた。

 そんな折も折、名作少女マンガ『はいからさんが通る』を読み始めた。

大和和紀(作)「講談社漫画文庫」版全4巻

 名作漫画では、少年マンガよりも少女マンガの方が関心が強く、『ベルサイユのばら』や『ポーの一族』、『少女革命ウテナ』などを所持・愛読していたりする。
 大正ロマンへの憧れは、今よりも以前の方が強かったため、演劇などでの漠然としたイメージのみ抱いており、今まで読む機会がなかったのだ。

 しかし、読み始めると大感動。
 とことん冒頭から紆余曲折を体感させられることで、気づけば僕は徹底的に没入していた。文庫版第一巻ラストの、主人公の決心はあまりにも美しい。
 ネタバレなしを意識しているので、このような曖昧模糊とした賛美しか贈れないのが残念。
 未視聴ではあるが、あらすじとして最適であろう、劇場版PV(前編)を添付しておく。

 それはそうと、本作には様々な“タイプ”の男性が登場する。
 身分や職業、性格、生き方、距離感etc.
 もし、本作が発表された当時に読んでいたら、きっと誰がお気に入りか話し合っていたはずだ。
 そのため、「(キャラクター名)さんって素敵ですよね」と語れないのも、もう一つの残念。
 
 それは今日における推し文化にも近いが、一方で、流行の服を相談しあうような、オススメしあいながら、理解を深めるようなものであって、信仰や布教、同担拒否などといった推し活的態度とも違う側面があったはずだ。
 感想はもちろん、どの男性に憧れるかを語りあう。
 それは他方、美少女キャラの誰が好きか、といった話題とも若干に異なっている気がする。

 とどのつまり、『はいからさんが通る』で重要なのは、「○○がカッコいい→彼に好かれる私とはどういう存在なのか」という自己回帰にあると思う。

 主人公であるヒロイン「紅緒」は、ハイカラで、男尊女卑に抗わんと志高くする女学生。
 じゃじゃ馬と呼ばれたり、あるいは“乙女”な悩みに浸ったり。率直な性格ゆえに、変わり者な登場人物たちから好かれてゆく。

 そう、主人公が等身大である上で、読者(受動)を瞬く間に牽引する能動性が、読者に親しみで包まれた憧れを抱かせるのだ。
 男性キャラ以前に、主人公を、ひいてはその世界を既に好んでいるのだ。
 各場面ごとに、読者にとって極めてオシャレに見える服装へとかわり、街中を闊歩する。
 その他のキャラクターは、それこそ「キャラ」的に似通った服装であるのに対して。


読後感想

 今まで読んできた漫画でも筆頭に素晴らしい。
 Twitterでは「名刺代わりの小説10選」という試みがあり、僕もかつては挙げていたが、「名刺代わりの漫画」で言えば、これ以降、『はいからさんが通る』を無視することはできないほど。

 ヒロインという意味において、「少女」への神秘的信仰はある。
 そのため、いかに儚い存在であるからといって、少女が現実に埋もれることを、「女性」へと成長する、と表現するのは酷である。
 しかし、本作は負の側面なく、見事、主人公・花村紅緒さんは、たくましく、麗しき女性へと成長していく。
 
 大正ロマンにあっては、「職業婦人」も台頭した訳だが、明治の風習に囚われない、デモクラティックで自然体な姿勢が、周りを感化し、影響は当然、読者へと至る。

 余談だが、同じく大正ロマンを感じさせる好きな漫画に『大正野郎』がある。『へうげもの』で知られる作者の、昭和的な数寄の在り方を見出せる。

 文化・経済・世論、そして価値観が、昭和へ向けて一挙に変わりつつある時代。
 読んでいる間はカルピスを片手に、読み終えてからは紅茶でもって、僕はその世界に親しんだ。

いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日あすの月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女 いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆるを 君が頬に ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女 波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女 黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを

『ゴンドラの唄』


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