あゝ素晴らしき『はいからさんが通る』
これまで幾たびか書いてきたが、僕は「推し」文化と距離をとっている。
現象としては、僕だって、綾波レイを崇敬しているため、別に不可解なものと捉えているわけではない。
それどころか、まこと信仰の類であるならば、羨ましくもある。
しかし、貢ぐという表現が苦手なのだろうか。自身はある種、考察の民であって、グッズ購入によって指示する派閥でないからか。いずれにしても、自分には推しがいないと考えていた。
そんな折も折、名作少女マンガ『はいからさんが通る』を読み始めた。
名作漫画では、少年マンガよりも少女マンガの方が関心が強く、『ベルサイユのばら』や『ポーの一族』、『少女革命ウテナ』などを所持・愛読していたりする。
大正ロマンへの憧れは、今よりも以前の方が強かったため、演劇などでの漠然としたイメージのみ抱いており、今まで読む機会がなかったのだ。
しかし、読み始めると大感動。
とことん冒頭から紆余曲折を体感させられることで、気づけば僕は徹底的に没入していた。文庫版第一巻ラストの、主人公の決心はあまりにも美しい。
ネタバレなしを意識しているので、このような曖昧模糊とした賛美しか贈れないのが残念。
未視聴ではあるが、あらすじとして最適であろう、劇場版PV(前編)を添付しておく。
それはそうと、本作には様々な“タイプ”の男性が登場する。
身分や職業、性格、生き方、距離感etc.
もし、本作が発表された当時に読んでいたら、きっと誰がお気に入りか話し合っていたはずだ。
そのため、「(キャラクター名)さんって素敵ですよね」と語れないのも、もう一つの残念。
それは今日における推し文化にも近いが、一方で、流行の服を相談しあうような、オススメしあいながら、理解を深めるようなものであって、信仰や布教、同担拒否などといった推し活的態度とも違う側面があったはずだ。
感想はもちろん、どの男性に憧れるかを語りあう。
それは他方、美少女キャラの誰が好きか、といった話題とも若干に異なっている気がする。
とどのつまり、『はいからさんが通る』で重要なのは、「○○がカッコいい→彼に好かれる私とはどういう存在なのか」という自己回帰にあると思う。
主人公であるヒロイン「紅緒」は、ハイカラで、男尊女卑に抗わんと志高くする女学生。
じゃじゃ馬と呼ばれたり、あるいは“乙女”な悩みに浸ったり。率直な性格ゆえに、変わり者な登場人物たちから好かれてゆく。
そう、主人公が等身大である上で、読者(受動)を瞬く間に牽引する能動性が、読者に親しみで包まれた憧れを抱かせるのだ。
男性キャラ以前に、主人公を、ひいてはその世界を既に好んでいるのだ。
各場面ごとに、読者にとって極めてオシャレに見える服装へとかわり、街中を闊歩する。
その他のキャラクターは、それこそ「キャラ」的に似通った服装であるのに対して。
読後感想
今まで読んできた漫画でも筆頭に素晴らしい。
Twitterでは「名刺代わりの小説10選」という試みがあり、僕もかつては挙げていたが、「名刺代わりの漫画」で言えば、これ以降、『はいからさんが通る』を無視することはできないほど。
ヒロインという意味において、「少女」への神秘的信仰はある。
そのため、いかに儚い存在であるからといって、少女が現実に埋もれることを、「女性」へと成長する、と表現するのは酷である。
しかし、本作は負の側面なく、見事、主人公・花村紅緒さんは、たくましく、麗しき女性へと成長していく。
大正ロマンにあっては、「職業婦人」も台頭した訳だが、明治の風習に囚われない、デモクラティックで自然体な姿勢が、周りを感化し、影響は当然、読者へと至る。
余談だが、同じく大正ロマンを感じさせる好きな漫画に『大正野郎』がある。『へうげもの』で知られる作者の、昭和的な数寄の在り方を見出せる。
文化・経済・世論、そして価値観が、昭和へ向けて一挙に変わりつつある時代。
読んでいる間はカルピスを片手に、読み終えてからは紅茶でもって、僕はその世界に親しんだ。
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