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ナナカイキ。

真珠の数珠を左手に、手を合わせ、深く礼拝をする。

父の七回忌に、座敷に並べた座布団に礼服や制服に身を包んだ娘、婿、子らが座り、心静かに経を唱え。

焼香の煙が漂う。

朗らかな和尚様おっさまは、曹洞宗の落ち着いた袈裟を羽織り、木魚を、とくとく とくとくと打ちながら、仏様へ問いかける。

外は、雨が静かに降っていた。

念彼観音力ねんぴーかんのんりき

念彼観音力ねんぴーかんのんりき

父は今、仏の道のどの辺りにいるのだろう。


父は、平成の終わりにこの世を去り、令和もコロナも知らなくて、それはそれは盛大に、たくさんの方々に見送っていただいた。
葬儀屋からは、「前代未聞でして…」と言われるほど、葬儀場の駐車場では足らず、火葬場の駐車場からシャトルバス送迎をしてもなお、近隣に渋滞を起こすほどの人々に、ご参列いただいた。

よく晴れて暖かな日で、一斉に花という花が(水仙もツツジも桜も)咲きほこり、火葬場までの道のりはまさに「極楽浄土」のような景色で、いまでもあの景色は夢のように。


あれから三回忌を経て、七回忌。

家族にとっての父は、子育ても家事も母に任せきりな、仕事や付き合いを当たり前に優先する、「外の人」だった。こんな小さな町では、父の名を知らない人もいないと思うほど、どこへ行っても、「○ちゃん(父)の子かー!」と私たちは認識されるほどだった。

葬儀に集まってくださった方々の人の多さを見て、父が家庭よりも優先した「外の顔」の偉大さを知ることとなった。それはそれは想像以上に、大きな葬儀となった。

全市会議員様や市長様が来てくださり、国会議員様から弔辞をいただき、大層な肩書きの方々にご弔問いただいており、私たちはただただ粛々とお辞儀を繰り返していた。

いったい父という人は、何者なんだろうと思いながら。


「令和」も「コロナ」も知らずに旅立った父は、少しでも時期が違えば、病室に寝袋を持ち込んで交代で付き添ったり、あのような盛大な葬儀もできなかったかと思うと、頃合いよく旅立ったよねと、家族そろって皆で、酒を酌み交わしながら語り。

きっと、頭の良い父のことだから
「オレは知っとった、予定どおりや」
なんて得意げに言うだろうね、と笑う。

祭りも、まつりごとも、全力でいどんでいた父のことだから(祭り前や選挙前には家にいなかった人だから)、「不要不急」などの線引きは解せなかったにちがいない。

「お父さんらしかったね」

厳しいこともたくさん言って、敵を作ることも多かったけれど、心から信頼してついてきてくれる人もまた多かった人だった。
とても器用とは言えないけれど、真っ直ぐで冷静で、けれど誰よりも熱かったりする人だった。


お墓参りをして、お寺にお参りをして、
家族と和尚様おっさまと、成くん*のお店の仕出しを和やかに囲む。母と、姉たちと義兄たちと、私と夫、そしてそれぞれのこどもたちもずらりと並んで。

嬉しそうにその光景を見ながら酒を呑む、
ありし日の父の姿がそこに見えるようで。

「ぅ゛うんっ!」

皆の前で話すときの父の癖の咳払いと、

「みんながんばっとるな。よろしい!」

と、しわしわの笑顔で言う声が聴こえた。

それは、父親に一番似ていると言われていた私が、父の真似をして言った声。

私の中の父の声。


母とならんだ姉に「お母さんそっくりやな」と言った成くんも、私には
「おまえは完全に○ちゃん(父)や」
と言うくらい。


私は年々、

父に似てきていると思う七回忌。


十三回忌にはきっと、
もっと似ていくだろう。
シワシワな笑顔とか、
人付き合いの不器用さとか。



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成くん*


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