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ジンの夏休み。

 夏休み。ジンが美緒と一緒にハンバーガーショップに入る。二人で宿題をするのが、ほとんど毎日の日課だった。

 「今日は、私に払わせてくれる?」
美緒がそう言う。ジンは、「いや、そんな、いいよ」と遠慮した。
「ううん、ちがうの」
美緒が首を横に振る。
「おかあさんがね、『今日はご馳走しなさい』ってお金くれたんだ」
「なんでまた?」
「本当ならね、夏期講習とか行かなきゃいけない時期なのに、ジン君のおかげで行かずに済んでるから」
「そんな」とジンが笑う。
「学校入ったぐらいの時はね、それこそ、そういう相談もしてたんだ。予備校とか考えなきゃねって。でも、一学期の成績の上がり具合を見て、『いらないね』って話になって」
「それなら、良かった」
「だから、今日はごちそうさせてくれないと、おかあさんから怒られちゃう」
「そっか。じゃあ、ご馳走さま。おかあさんにもお礼伝えといて」
「うん」
「じゃあ、俺も気抜けないな」
「お手柔らかにお願いします」
そう言うと、二人で笑った。

 食事を取ったあと、二人で宿題を解いていく。
「…ふぅ」
区切りのいい所で、美緒が一息つく。メロンソーダをストローで吸い込んだ。氷が溶けて、味が薄くなっていた。
 ふと、目の前のジンを見る。とても集中して問題を解いていた。額を、汗がしたたる。しかし、ジンは問題に集中していて気にしていないようだった。
「…あ、」
大きな汗の粒が、ジンの目に入りそうになる。それを、美緒がハンカチで拭った。
「え?」
ジンが顔を上げる。
「ごめんね、汗が目に入りそうだったから」
「あ、そうだった?ありがとう」
「ううん」と笑う。
「ごめんね、これだけ解いちゃうね」
そう言うと、ジンは再び問題と向き合った。その真剣な表情を、美緒が見つめていた。

 「…よし」
ジンが顔を上げる。「終わった?」と聞いた。
「うん」
ジンがコーラを吸い込んだ。
「うわ、ほとんど水だ」
その一言に、美緒が笑う。
「新しいの買いに行こうか」
「あ、じゃあ、払わせてね」
「また、いいの?」
「うん、まだ余ってるから」
「じゃあ、ごちそうさま」
二人が新しい飲み物を買って戻る。「どこかわからない所あった?」と味の濃いコーラを吸い込みながらジンが聞く。
「あのね、ここがわからないの」
「どれどれ」
ジンが美緒のノートを覗き込む。
「あぁ、これはね…」
そのあと、ジンが美緒の先生になる時間が続いた。

 「大体わかった?」
「うん、すっかりわかった。ありがとう」
「それなら、良かった。なら、おかあさんにも示しが付くね」
「すごいね、本当になんでもわかるんだね」
「なんでもわかるんだよ、俺は」と言うと、美緒が笑った。
「さすがは天才だね」
「天才って、そんな」
「みんな言ってるよ、ジンくんは天才だって」
「なんだかなぁ」
ジンが困った顔で笑った。その笑顔を、美緒は少し可愛らしく思っていた。


 「今日はこの辺にしようか」
そう言われ、美緒が時計を見る。いつもよりは早い解散時間だった。
「今日は、お祭り一緒に行かない?」
その一言に、美緒の顔がほころぶ。
「うん、私も誘おうと思ってたんだ」
同じことを考えていたんだと、二人が嬉しくなる。
「一回、家帰って着替えたいんだけど、いいかな?」
「うん。私もそうする」
「じゃあ、公園に集合にしよう」
「うん」
二人は荷物をまとめ、一度解散した。

 お祭りの公園。その入口で、甚平を来たジンが美緒を待つ。公園には、浴衣を着た女性の姿がたくさんあった。美緒の浴衣姿を想像し、ドキドキしていた。

「ジン君」

背中から呼ばれ、振り返る。浴衣姿の美緒がいた。水色をベースに、花柄があしらわれている。ジンが想像していたよりも遥かに可愛いその姿に、今まで以上にドキドキした。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「俺も、今来た所だから」
ありきたりな返事を返してしまったことに、妙に恥ずかしくなる。
「浴衣、かわいいね」
「…ありがとう」
美緒が恥ずかしそうに俯く。
「今日のためにね、新しく買ったんだ」
「すっごく似合ってるよ」
「ありがとう」

 「すごい人だね」
あまりの人の多さに、美緒が驚く。「離れちゃだめだよ」とジンが繋ぐ手を強くした。美緒は「うん」と自分よりも遥かに高い位置にあるジンの横顔を見上げた。

 「夜でも暑いね」
美緒が汗を拭う。
「じゃあまず、かき氷食べようか」
「そうだね、体冷やしたいね」

 二人で列に並び、かき氷を買う。そして、人だかりから離れたベンチに座った。
美緒が、いちご味のかき氷を一口食べる。「おいしい」と微笑んだ。その笑顔に、ジンが見とれる。
「…どうしたの?」
視線に気づいた美緒が聞く。「あぁ、いや」と照れた。
「お祭りと言えば、かき氷だよね」
そう言ってつくろって、青いシロップのかかった氷を口に運んだ。

 「次は何たべようかなぁ」
かき氷を食べ終わり、二人で手をつなぎながら屋台を見て回る。
「焼きそばは?」
「いいねぇ」
「たこ焼きもあるよ」
「それもいいねぇ」
「あっちはフランクフルトだって」
「わぁ、おいしそう」
「どれもいいんじゃん」
そうジンが笑うと、美緒も「どれもおいしそうでまよっちゃう」と笑った。

 そのとき、ジンが足を止めた。「どうしたの?」と見上げる。
「あの子たち…」
ジンが指差す。その先に、困った顔で木の上を見上げる小学生ぐらいの男の子と女の子がいた。
「何か、困ってるね」
美緒が二人に近づく。ジンも後に続いた。
「どうしたの?」
美緒が聞く。女の子が木の上を指差した。二人が見上げると、木の枝に赤い風船が引っかかっていた。
「ふうせん、とばしちゃったの」
女の子が、今にも泣き出しそうな声を出す。男の子がどうにかしようとしているのだろうが、どうにもならないのだろうと推測した。
「おい、ちょっと手伝ってくれるか?」
ジンが、男の子の前にかがんだ。
「俺が肩車するから、君、取ってくれる?」
男の子が、「うん」と頷いた。
「行くぞ」
ジンが男の子を肩に乗せ、立ち上がる。男の子は手を伸ばし、頑張って風船に届かせた。その様子を、女の子が心配そうに見つめていた。
「とれたかー?」
下から聞くと、「うん」と返事が帰ってきた。「おろすぞ」とジンが体をかがませる。男の子が、少しよろめきながら着地した。
「ほら」
女の子に風船を差し出す。「ありがとう」と安心した顔で受け取っていた。
「よく頑張ったな」
ジンが男の子の頭をなでる。「ありがとうございました」と頭を下げた。
「風船とったのは君だろ」
そう言うと、力強く頷いていた。
「良かったね」
美緒が女の子に言うと、「ありがとうございました」と可愛く頭を下げていた。
「じゃあ、行こう」
男の子がそう言い、二人はその場を立ち去った。

 「ジン君」
「ん?」
「肩車しなくても、ジン君の背なら手届いたんじゃない?」
「まぁ、そうだけどね」と笑う。
「でも、あの子にやらせてあげないと。かっこつかないから」
確かにそうだった。ジンが取ったのでは、男の子の立場がない。
「よくわかるね」
「なんでもわかるんだよ、俺は」
そう言って笑った。

 「そろそろ、花火始まるかな」
「そうだね」
公園の広場の中心で、花火師たちが準備を始めていた。その周りを、花火を見ようとたくさんの人が囲んでいた。ジンが、その円の端っこに美緒を連れていく。体の小さな美緒は埋もれてしまっていた。
「ほら」
ジンがしゃがむ。
「いいの?」
「いいよ」
「ありがとう」とジンの背中におぶさる。
「ごめんね」
ジンが謝った。
「なにが?」
「ほんとは、もっと近くで見せてあげたいんだけど、それじゃ、後ろの人に迷惑になっちゃうから」
そう言うジンを、美緒がぎゅっと抱き締めた。ジンの心臓の鼓動が早くなる。
「ううん、最高の眺めだよ」
「なら良かった」
そう答えた自分の声が震えた気がして、少し恥ずかしかった。

 その時、花火が上がった。ジンの背中から見えた花火は、すごくキレイだった。
「うわぁ」
そう、声を漏らす。耳元で聞こえるその可愛い声に、またドキドキした。

 花火が、終わった。大勢の観客が拍手を贈ると、花火師たちが頭を下げた。
「すごかったねー」
「おおきかったね!」
そう、口々に言いながら、たくさんの人たちが公園から立ち去っていく。
「キレイだったねー」
ジンの背中で美緒が言う。「だね」と頷いた。
「じゃ、俺たちも帰ろうか」
「じゃあ、降りるよ」
「いいよ、降りなくて」
「え?」
「足、痛いでしょ」
美緒は、履きなれない下駄で、足の親指と人差し指の間が鼻緒に擦れて赤くなってしまっていた。
「気づいてたの?」
「ついさっきだけどね」
「…ありがとう」
「なんでもわかるんだね」
「なんでもわかるんだよ、俺は」
 美緒をおぶったジンが、公園を出る。
「夏休み、終わんないといいのにな」
美緒がつぶやく。
「そう?」
「うん、終わっちゃったらさみしい」
「そっか」
「ジンくんは、終わってもいいの?」
「う~ん、どっちでもいいかなあ」
「なんで?」
「夏休みが終わっても終わんなくても、美緒といられるのは変わらないから」
「そっか」
「うん」

「じゃあ、わたしもどっちでもいいや」
美緒がそう言って、二人で笑った。

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