見出し画像

ウェブ記事の名義についての個人的すぎる考察


ウェブ上になんらかの文章を発表するにおいて、まず悩むことはなんだろうか。
エッセイにするのか、それともレポートにするのかといった体裁だったり、題材の選びかた、文章力を上げる方法……とまぁいろいろあるけども、まずは「名義」ではないかと思う。

たとえば、すでになんらかの仕事をしていて、それと結びつけて文章を書きたいひとは本名一択であろう。お店の経営者だったり、デザイナーだったり、会社の要職についているひとたちである。
そういうひとは、たとえば「ゲスい記事を書いてみたい」などという欲求でもなければ、本名と切り離す必要がまったくない。いわゆるビジネス文脈のかたたちだ。本名なら逆に、書く内容もある程度方向性が決まってくるので、そういうかたがたに関してはここでは考えないことにしよう。

問題となるのは、「本名と紐付けられるとちょっといやだな」といった層である。なにかしら仮の名をつける必要があるだろう。じゃあ、なんでわたしは少年Bなのか。

「少年B」を名乗ったのは失敗?

わたしも、いまでこそこの名が本名化しているところもあるが、書き始めた当時は営業も兼任する会社員だった。本名でへんな記事を書くわけにはいかなかったのだ。

ここ数年の名義のトレンドは本名っぽい名前な気がする。「勝田ルイ」みたいな感じの名前だ。「わたしではないわたし」という仮のペルソナである。
「少年B」のような意味のわからん名前は、どうもあまり流行っていないようだ。

以前、けっこう本気で改名を検討したことがある。理由は単純で、ウェブサイトに寄稿するにあたって、いくらなんでもあやしすぎる名前だからだ。

へたに寄稿してから名前を変えては、過去の実績がリセットされてしまう可能性がある。クレスタに寄稿をはじめる直前、わたしはめちゃめちゃ悩んでいた。

まず、取材のアポが取りづらいことが想定される。「わたくし、○○でライターをしております少年Bと申しますが……」ってどう考えても不審者だろう。取材のOKが出るはずはない。
そして30代も半ばにさしかかっているいま、どう見てもわたしは少年ではない。端的に言うと、名乗るのが恥ずかしかったのだ。
見た目は少年とは言いがたいおっさんだし、ものすごく好意的に見てもお兄さんである。あっ、極力好意的に見てくれるひとのことが好きです。

じゃあなぜ、少年Bなのか

少年Bとは、中学生でポケモン攻略掲示板に書き込むときに、てきとーに付けてしまった名前である。中学のころ、隣のクラスのやつがいきなり「おい!少年B!」と声をかけてきたのを思い出して、まぁこれでいいかとなんの考えもなしに付けたのだ。

なお、わたしの本名にはB要素がないので、なんで少年Bなのか聞いてみたところ、「バカだなぁ、少年BOYの略に決まってるだろ!」と言われ、その由来が明らかになった。なお、「じゃあなぜ少年BOYと呼ばれたのか」についてはいまだに謎のままである。

わたしはこのHNをもう20年使っている。べつになにも理由はなく、新しい名前を考えるのもめんどうなので、とりあえず思考停止で使い続けていただけなのだ。つまり、この名にこだわる理由なんかないのである。

そうすると名義はどうすればいいだろう。やっぱり本名っぽい名前がいいのかなぁ、なんてことを考えていた。

改名の必要、ほんとにあるか!?

だが、そこでふっと思いとどまったのは、「改名、ほんまにメリットあるんか?」ということだ。

そもそも、取材のアポでライターネームを名乗る必要はない。本名でアポを取って、あとで面談した際に名義を名乗ればよい。下ネタが入っている名前だったらまずいだろうけど、少年Bならまぁギリギリ大丈夫だろう。

それに、そんなてきとーな名前でも、20年も使っているとそれなりに愛着もある。14歳でインターネットを初めてから、ずっとおなじ名前を使っているひとはそうそういない。「いや、名付けたときは少年だったんですけどね」と言えるのは、かえっておいしいかもしれない。
こんな名前ならその由来だって、ちょっと気になるだろう。まぁ、そんなに大した話でもないんだけど、エピソードは記憶と結びつく。覚えてもらいやすいはずだ。

それに、周りのライターさんがみんな本名っぽい名前だからと言って、それに合わせる必要もない。たしかにちょっと変わってるが、それは逆に目立つというものだ。

だいたい、いまウェブライターでいちばん有名なのはヨッピーさんだろう。でも、あのひとだって、ぜんぜん本名っぽくない。

わたしの愛するデイリーポータルZは本名のかたがおおいけども、オモコロにはへんな名前のライターさんがたくさんいる。ARuFaさん、ダ・ヴィンチ・恐山さん、マンスーンさん……原宿さんに至っては地名である。
……あれ、おらんくない?漢字+アルファベットの名前のライター、ほかにおらんくない?

これはもしかして、「少年B」って逆にめちゃめちゃいい名前なのでは……!?

中年だっていいじゃない

そういうわけで、わたしは改名をやめた。改名するよりもこの名前でいたほうが、圧倒的にメリットがあると思ったからだ。中年になっても少年Bなんて、ばかばかしくていいじゃない。ふざけた記事を書いてるわたしにはぴったりだ。

この名前で行こうと覚悟を決めてから、まだ2年も経っていない。そもそもこのネーミング自体、ただただ偶然と、惰性によってここまで残っていただけの話だ。

Facebookはなぜか、名前に複数の言語が対応していないので、少年Bを名乗るページが作れないという難点もあるのだが、まぁそれはそれで仕方がない。いまはTwitterのほうがたのしいので、そっちでわいわいすればいい。

むかしブログを書いていたころ、サジェストの上位が「東京B少年」で埋まったこともあったが、なんだかんだライターとして活動する前には彼らが名前を変えてくれたので、それもちょっとラッキーだった。

いいことばかりではないけども、なんだかんだ目立つ名前でいることに越したことはない。名刺もやたらとインパクトのあるものを発注してしまって、あとから「あ、ふつうライターって名刺に笑いやインパクトは求めないんだ!」って気付いたのだけど、それだってまず「覚えてもらうこと」だ。

画像1

編集さん相手に仕事をもらうにしろ、記事を読んでもらうにしろ、なんかやばそうなやつだな!という印象もある意味だいじだ。まぁ、ほんとうにやばかったらそれもまたまずいので、加減は必要だけども。

本名ははたしてオワコンなのか

そう言えば昨年、物議をかもしたnoteがあった。プロ奢られヤーというひとが書いた「本名はオワコンだ」という話だ。

個人的にはあまり好きな人種ではなさそうだし、有料なので紹介はしない。まあこのtogetterを見れば、なんとなく流れはわかるはずだ。あんまし好きじゃないけども・戦略的なことを考えればすげぇなぁと思ったのだ。

ざっくりまとめると、彼の本名は中島さんと言う。中島という苗字はたしかにたくさんいる。彼がフォロワーのなかで「中島なにがし」として強く認知されるには、フォロワーそれぞれのなかにいる「ほかの中島さんたち」に勝つ必要がある。それはレッドオーシャンなので、こういう「キャッチーな肩書きだけ」で生きていくことにしたそうだ。名前は捨てて肩書きだけで生きる、という割り切りができるの、ふつうにすごい。

表層を追うの、危険じゃない?

ふだんひとの文章を読まないわたしがこのnoteをたまたま見たのは、一瞬無料にしたタイミングでやたらとTLに流れてきたからだ。

これを読んだ瞬間、「あ、自分は間違っていなかったな」と思ったのだ。
案の定、その日からちょこちょこ「プロ○○ヤー」さんたちの姿をTLやRTで見かけるようになった。まぁ、いまはどこにいったのか知らないけども。

こういう情報商材みたいなものって、だいたいの場合再現性がない。表層をまねて同じようなことをしたって、「あ、あなたはプロ奢さんの何番煎じ?」ってことになる。後には「たくさんのひとに真似されるなんて、やっぱりあのひとはすごいなぁ」という感想しか残らないのだ。

そういうひとたちが増えれば増えるほど、肩書きでもない「名前」のままでいるほうが、逆にそのあたりの界隈では目立つようになる。まぁ、べつにそういうひとたちのいる界隈で目立とうとは思ってないけども。

肩書きって必要かな?

そして、わたしは肩書きを名乗らない。一般的には「ライター」だし、いちど友人のイベントで一度だけDJを頼まれたこともあるので、「DJ」を名乗ってもいいはずだ。いや、DJのオファーがたくさん来てもこまるけど。

よくあるのは「○○ライター」みたいなライターのなかでもっと絞り込むスタイル。でも、それも「グルメライター」みたいな中途半端なのを名乗って、他の仕事がこなくなるのはこまる。「グルメライターなのにこの店知らないんですか?」とか言われてもいやだし。

あくまでも、ライターなのはわたしのいち要素なのだ。音楽は大好きだし、へんなイベントを身内でやりたいし、カロリーの高いものを食べてもセーフでいたいのだ。ライターという肩書きにフォーカスをされると、ほかの要素がレンズの外に出てしまうだろう。

思考の解像度を上げる、などと言われて久しい。たしかに、そうして「自分が何者なのか」を知るのがいい場合もあるだろう。でも、それが唯一の正解だとは決して思わない。わたしは、あくまでただの「少年B」でいたいのだ。自身のブランディングよりも、「自分の幸せ」を最大化することだけを考えていたい。

Twitterを始めたきっかけは「友達がほしい」だった。あまり一般的なライターっぽくない、リプライでわいわい言い合っているTwitterが、わたしは好きなのだ。

計算があるけど、愛着もある

このnote自体もまぁ、無料ではあるけど、ある意味情報商材みたいにも見えるかもしれない。これはあくまでも、わたしが少年Bであり続けることを決めた理由ってだけで、お前らも中年Cとか享年Zになれって言ってるわけじゃない。

インフルエンサーのポジショントークみたいなのはあんまし好きじゃないので、あえてここまで書いちゃうけど、もし名義を変えたいなぁと思ったら、どういう名前がいいか、しっかり自分で考えてみればいいと思う。名義や肩書きをコロコロ変えるのは、あんましいいとは思わない。ふらふらした印象を受けてしまうでしょう。

安易に流されちゃうと、だいたいろくなことにならないので、決まらないなら、もうそのまま愛着のある名前でいいじゃない。だってたぶん、そのほうが「あなたの幸せ」に近いと思うから。

ほんとうにたまたまなんだけど、ずっと使い続けることを決めたこの名前には、こんな相反する計算と、ただの愛着が働いていたりするのです。


こちらに参加するために書いたnoteです。


#ライター #フリーライター #note #思考 #価値観 #SNS #私の仕事 #アドベントカレンダー

最後まで読んでいただいてありがとうございます。 よかったらまた遊びに来てくださいね。 スキを押していただいたり、コメントを下さったり、Twitterで話題にしていただけたらとってもうれしいです。 ※スキはnote会員じゃなくても押せます。励みになりますのでもしよかったら。