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8. 君はまだ覚えてるかな 幼い頃の暑い六月

廃線になった線路を 僕等はどこまでも歩いた

、、、と言う歌がある。筆者はこの歌がとても好きだ。

この歌にはある登場人物4人が存在する。

僕、雅敏、靖人、太平

歌は1番、2番、3番とそれぞれとの思い出が語られる。その思い出があまりにもリアルで、鮮明で、聴いているこちらからでもその風景、登場人物の表情、心情までもが伝わってくるのである。聴いている方の目の前にいるわけでもないのに、目には見えていないものなのに、である。

そんなわけでまた夏の記事を書こうと思う。そういえば、昨日筆者が住む町では夏祭りが行われていた。昼間の暑さも和らいだ夕方、筆者は買い物に出たけたのである。その時、ちょうど祭りが行われていたわけだからとても驚いた。

夏祭りといえば、筆者は夏祭りによって育てられてきたと言っても良い程、地元の夏祭りにこれまでたくさん参加してきた経験がある。地元じゃ花火大会は当たり前にあるし、他にも虫送り祭りなんてものがあってその祭りを境に季節の変わり目を感じていた。夏の季節である。

ところで不思議な話があるのだが、夏祭りで人が死亡してしまうということがある。筆者が知る話だとねぶたにひかれて人が死んだり、花火大会中の出店で油が爆発してそのまま発火、、、というなんとも心が痛むような話があったりする。どうしてこのような事故が起こってしまうのだろうか?ふと考えていた筆者は、そういえば「ハインリッヒの法則」なんてものがあることを思い出した。

ハインリッヒの法則とは、重大な事故が起こる背景には必ず何かしらの軽い事故がいくつかあり、その軽い事故の背景には思わず「危ない!!」と思うようなヒヤリハットがいくつも存在して事故というものが出来ている、という経験則き基づいたハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(Herbert William Heinrich)が考えた法則である。この時の軽い事故とは転んで怪我をするとか、打撲、応急手当てで済むようなレベルの怪我を指す。

この法則によれば、事故というのは予測することによってほとんどの場合回避することが出来、仮に予測していて事故にあったとしても死ぬような事故に巻き込まれることは1%にも満たないと言う。

なるほど、実に面白い話だと筆者は感じられた。確かに、危ないところには近寄らなければ良いし、そもそも夏祭りに参加しなければ夏祭り中に死ぬなんてことにはならないだろう。しかし、それはそれで味気ない気もするが。

どんな場合であれ、人は必ず死ぬ生き物である。どんな死に方をするにはせよ、どうせなら自分の好きな死に方であの世に逝けたらきっと人は幸せなのではないだろうか?

死期が迫っている方というのは、自分が死ぬ時というのが自ずとわかるらしい。さしずめ「あっ、自分もうすぐ死ぬんだな。このまま眠れば、あの世逝きかな?」という風なのだろうか?

こうした冗談も高齢の方はたまに本なんか出版して語られていたり、会話のタネなんかにしていることがあるものだから実に面白いと筆者は感じる。死ぬことも笑いのタネになることがあるのだ。

思わず夏祭りの話から死生観の話にまでなってしまったが夏になるとどこか人が死にやすいイメージがある。毎回思うのだが、どうして毎年プールや海で人が死んだり、車の追突事故なんてものが起こるのだろうか?少し考えるだけでも大分回避出来るかと思うのだが、、、

もしかしたら、そういった事故の場合本人なんかが知らない所からやってきたり、一歩間違えればそれだけで大変なことに巻き込まれる、、、という非常にシビアなものなのかもしれない。そうなってくると我々が出来ることとすれば、如何にして事故のケースがあるのか?と事故を知ることに活路があるのではないかと思われる。

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