見出し画像

決めたことをやり通すのは思考停止ではないか?

一度やると決めたことをやり通す、というのはある意味思考停止の状態である


思考する人はやり通すのが苦手


思考している人というのは、それをやる意味が本当にあるのか。
それをやる理由は何だったのか?
ということをきちんと突き詰めて、将来の自由、将来の自分との照らし合わせによって、それをやり続けることのリスクと、コストパフォーマンスを考えることができる。


しかし、私の場合はそれを「やると決めたのだからやるんだ」と言うある意味全く考えていない、思考停止状態で突き進んでいるのではないかと疑問が生まれてきた。

見えているのは、それを「やり通した!」という『達成感を得られる』という報酬のためだ。

達成感という報酬を得るためだけに、自分はやり通すんだと決め、それをやり通している。


「それをやると決めたからやり通しました!」
と言うと、周りの人から賞賛され、それが自分にとっては承認欲求を満たされる。

そういったものが積もり積もると、自分の中では「なぜ、それをやるのか?」という疑問が、わかなかったことに対しての疑問が、全くわかない。

本来であればその行動をやり続けることや、それをやり続けて達成することに意味があるのかないのか、ということをきちんと考えた上で行動を起こし、そして達成していくのであれば、きっともっといい成果が得られるのではないだろうか。

私の中では、『達成感という報酬のため』だけにそれをやり通すというものに、意味があるのかないのか、現実としては理解はできていないし、それは分からない。

しかし、『やり通した人』だけが、『目標達成』することができるのは、紛れもない事実。

やり通すことが「思考停止」だったとしても、その思考停止は、必要な思考停止であると言えるのかもしれません。
つまり、やり通すには、或る意味、『考えずにやる』ことが重要であるようにも思います。

考えたことを行動に移すということは、『考えすぎない』で「とりあえずやってみる」ということが大切ですね。

私などは、戦略的な考察ができないので、「とりあえずやってみよう」という思考になりやすかったため、決めたことをやり通すのは苦にならなかったのですが、なぜ苦にならないのかを考えたところ、このような見解に行きつきました。

とっても嬉しいです!! いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます! ありがとうございます!