読書によって考える力はつくのか
仕事や人生にも答えが用意されている
論理的に考えるとはどういうことか
『考える力』というものを語るとき、私は『論理的に考える』ということを考えます。
そもそも、論理的に考えるとはどういうことでしょうか。
簡単に言えば、
「あの人に主張はだめだ」
と思う場合に、どこがどのようにダメなのか、きちんと考えて言葉にする力のことを言うのです。
しかし、今の時代は簡単に答えを出すことが難しい問題が山積みです。
コロナウイルスなどの疫病問題、環境問題、貧富の格差や会社や学校でのいじめなど、より良い解決策が生まれていない現状があります。
このような問題提起がされた際に、考える力がある人は『自分の価値観』というものをもって『自分なりの答え』というものを持ち合わせています。
『自分の価値観』というものは、軸であるためブレてはいけません。
ブレない軸があるから、自分の意見も筋が通るのです。
考える力のない人は、こうした『ブレない軸を持った人の意見』の中から、自分が良いと思ったものを選択していきます。
そして、その意見をあたかも自分の意見のように他人にも述べてしまいます。
考える力はないけれど、自分の意見として最も最適なものを選択する力はあるのです。
少し前まで、全く真逆の意見を持っていたのに、自分の尊敬する人や自分が良いと思う人の意見が真逆だった時、すぐにそちらに乗り換えるという行動を簡単に行ないます。
これは、自分の意見には全く軸が無いという証拠です。
所詮は他人の意見であるため、カンタンに乗り換えます。
しかも、その意見の裏付けとなる、『その意見である理由や論理』までも丸パクリするのですから、次の瞬間から理由まで説明できるほどに自分の意見を変化させることができます。
これは読書でもよく見られます。
「本に書いてあったから」という理由で、その意見を自分の意見のように人に話したり、こうしてブログに書いたりする。
これは、自分の頭で考えていない証拠です。
ですから、その意見に対しての思いの深さというものもない。
結局、どちらの意見でもいいのです。
大切なのは、自分の意見が通ることや、自分の意見として評価してもらえることが重要なのです。そう、承認欲求です。
認められたい、すごいと言われたい、という思いだけで自分の軸というものを幾分か変化させているのです。
『他人に認められるように自分の意見を変化させる』という軸を持っていると言えるのかもしれません。
本には仕事や人生の答えが書かれているのか
他人の意見を自分の意見にしてしまう人には、承認欲求以外にもある種の特徴がみられるのです。
それは、『仕事や人生にも答えが用意されている』と本気で思っている人もいるという事実です。
学校の試験と同じように、「〈問題用紙〉があれば〈答案用紙〉も存在するだろう」というのです。
『人生の答え』というものを、読書などで手に入れることを目的に本を読みます。
その『仕事や人生の答え』をいかにたくさん手に入れられるかによって、人生の成功、不成功が決まるのだと思って止まないのです。
こうした考え方は、若い年代によく見られます。
本には、人生の答えが書いてあるから、本を読むべきだと考えているのです。
本来、本を読むというのは、『答えを教えてもらう為』ではありません。
本というのは問題用紙、問題集なのです。
いきなり答えを見るということはできません。
この問題集には、答えはついていないのです。
自分で探すしかないのです。
自分の力だけでは立てることができない『問い』を与えてもらう存在が本なのです。
『問い』をもらった私たちは、その問題に対して真摯に向き合い、本来は答えなんて存在しない『自分なりの仕事や人生の答え』というものを探すために自分の頭で考えるのです。
『仕事や人生の答え』が存在していたら、多くの偉人は本に書かれているほど苦労はしませんし、今や世の中には成功者が溢れかえっていることでしょう。
論理的に考える力をつけるには、読書はこの上なく効果的です。
そう言われるのは、答えを教えてくれるからではなく、小説でも、なぜこの主人公はこのような行動をとったのか?作者はこの作品で何を伝えたかったのか?そんなことを考えさせてくれるからです。
本というのは、「なぜ?」「どうして?」と考えながら読むことで、それだけで自然と考える力がつくのです。
考える力は、人間的成長に繋がります。
人間的成長は、生きる力です。
それは、本によって培われると言っても過言ではありません。
私はそう信じています。
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