【オリジナル創作小説】東京アオハルキャンパスライフ 第1話①
【第1話① 東京へのいざない】
1
「一生懸命勉強して、いい高校に入って、いい大学に入りなさい」
子供の頃から、それだけは親から口酸っぱく言われ続けて育てられてきた。
逆に言えばそれ以外何もなかったのが、南夕夏のこれまでの人生であった。
たまたま親の期待に応えられるだけの天秤を持って生まれてきたお陰か、単に反抗期を迎える事なくやってきただけなのかは分からない。だが、いずれにせよ18年間真面目一辺倒で生きてきた結果、無事第一志望の大学に入ることができたことは事実だ。
では、その先は?
就職は?
結婚は?
そんな将来の話までせずとも目下の話、大学では何を目標にすればいいの?
分からない。
答えが無いから分からないというより、答えが無限にあって分からない。学生の本文、勉強に邁進する。女子の望み、恋愛。サークル活動に精を出す。将来を見据えた人脈作り。いいところに就職するための準備期間━━。
どれも正解のような気もするけど、これが一番なのかどうかは分からない。その「一番」を見つけ出すのが大学なのよ。と母親は言う。
聞けば教えてくれる。そんな誰かが決めた目標と課題にただ沿っていれば生きられるような人生はここまでだということを、何となくだが夕夏は察した。
ならば。
(大学ではできること、やりたいこと、みんなやろう! だって、こんなにも自由な世界がひろがってるんだから!)
新幹線で一時間半、大志を抱いてはるばる東京へとやってきた星夏の前に広がっていたのは、地元にはなかったキラキラした光景であった。
東京都、赤坂学院大学。
繁華街のど真ん中に広大な敷地を有し、政財界で活躍するOBを多数排出し、名門といって差し支えない歴史ある大学だ。
(わぁ……!)
一歩足を踏み入れた瞬間、これから始まる栄光のキャンパスライフへの予感に夕夏の胸は高鳴った。
だが、その予感は長くは続かなかった。
◇
入学から2週間ほど経った。
次第に分かってきたのは、この赤学、少なくない割合の学生が『イイトコ』の子だということである。それも実家が東京23区内で名門中学受験を経て上がってきたような、地方出身者から見ると異世界の住人みたいな子ばかりだ。
そうした子たちは同じ一年生だというのに、既に勝手知ったる我が家のような感覚で学内を闊歩している。ちなみに夕夏といえば、いまだに次の授業が行われる棟がどっちの方角にあるのかさえもよく分かっていない。
夕夏のいる経済学部は女子が7割を占め、よく見れば高そうな服やブランドものを身に付けている子が多い。あの子もそうだしこの子もそうだ。
そうした子らは、金銭感覚も一線を画している。田舎から一人上京してきたばかりで常に金欠、食事は自炊かカップ麺か学食の素うどん(250円)かで悩んでいる夕夏と違い、会話していると日常的に3,000円くらいするランチを食べたとか、話題がディナーに及ぶとお洒落な隠れ家的トラットリアだとかの話がポンポンと飛び出てくる。「あの店前はよかったけど最近はねえ。シェフが変わってから味落ちたんじゃない?」とか平然と言うのだ。
だが、夕夏のコンプレックスを殊更に刺激したものは、着るものや食べるものではない。
男性経験だ。
これまでの18年間、同級生が遊んだり色気付いたりしているのを脇目に見ながら勉強してきた。当然、彼氏なんてできたこともない。
そもそも惚れた腫れたとか恋愛だとかがまだよく分かっていない。人並みにイケメンな先輩に憧れたことくらいはあるが、それはアイドルにキャーキャー言うようなミーハー的感覚であり、ちゃんと現実に手の届く範囲にいる相手と距離を縮めようとした事が無いからだ。
同級生はみんな高校またはそれ以前に『そういう事』を一通りは経験しており、女子で集まって話していると、
「あそこのシティホテルなんだけどさ、50階から見る夜景が超いい感じで。彼氏と3回も盛り上がっちゃった」
「へー、こっちのホテルもよかったよ。広くてインテリアもお洒落だし。彼ったらウチが何回イッても離してくれなかったのぉ」
「てか回数よりもさぁ、どれだけ熱い一夜を過ごせたかじゃない?」
といった話で盛り上がる。
夕夏はというと、出来ることはまだ見ぬ光景に顔を赤らめつつ、苦笑いを返すのみだ。
一番困ったのは「夕夏はどう?」と話を振られたときだ。彼氏なんて出来たこともないし、いわんやホテルと言われても。
ホテルなんて東横インくらいしか泊まったことはないし、ましてラブホなんて高速道路沿いに建ってるお城みたいなどぎついやつしか見た事もない。前者の話などしてもヘタクソな冗談にさえならないし、後者は中になど入ったことなどあろうはずもない。ただ何となく遠くから眺めたことがあるくらいだ。どんよりと曇った昼下がり、爛れた関係の中年カップルが人目を忍んで利用しているようなイメージだ。
「じ……地元に居たときはよく使ってたけど、あっちのはダサ過ぎてダメね。築昭和何年ですかって感じ。部屋だってタバコ臭くて嫌んなっちゃう。彼氏もいっつも文句ばっかり言っててさ。お陰でケンカ別れしちゃったけど」
ペロリと舌を出して見せる。
女の本能と言うやつか、生来の負けず嫌いのためか、夕夏はつい見栄を張ってしまった。最後に付け加えた一言は予防線だ。追求されても、「忘れたい傷跡なの。ほっといて」とか言って誤魔化せばいい。
よくもこんな出任せがポンポン口をついて出てくるわねと、自分で自分を褒めてあげたい。
「分かるぅ~」「ヒュー、夕夏も大人しそうな顔してやる事やってるのねぇ」などと言われても、「ごめんなさいっ! わたしなんにも知らないのっ!」と内心で返すぐらいしかできない。
この日のこの発言を境にグループ内の夕夏のポジションが固まった。
男を手玉に取る、経験豊富な小悪魔キャラだ。
(な、なにひとつ合ってない……!)
がっくしと肩を落とす。
あのときは自分を褒めてあげたいと思ったが、やっぱり嘘をついた先に待っていたのは後悔だけだった。
◇
4月、最終週。
次第に大学にも慣れだし、独り暮らしのリズムも掴めてきた頃。
ゴールデンウィークを控え、学内ではサークル勧誘やそれに伴う新歓コンパの誘いが吹き荒れている。そんな季節だ。
その日の夕夏は、朝から胸のときめきを抑えきれなかった。
カーテンの隙間からきらきらした光が差し込み、部屋の隅々に散っている。起きたときにはもう忘れてしまったが、昨夜はとても甘い夢を見たような気がする。こんな日は絶対いいことがある。そんなことを素直に信じられるような朝だった。
4月とはいえ朝夕はまだ肌寒い。
いつもは寝起きが悪い夕夏であったが、今日はしゃっきりした顔で布団を出ると、テンションの上がり様のままにパジャマを全部脱いでしまう。
鏡の前に立つ。
ちょっと寝癖気味の栗色のショートカット。もう1~2センチ成長してくれるとキリのいい数字になるバストに、もう2~3センチ縮んでくれるとキリのいいヒップ。無駄のないS字状のウエストライン。
まだ誰にも触れさせたことのない体だが、正直言ってちょっとした自信を持っている。
こんないい気分の朝を迎えられた理由、それは今夜、はじめての合コンが控えているからだ。
昨日の夜、学籍番号が一つ違いの友達、美川加奈子から誘いの電話を受けた。
「私も又聞きなんだけど、医学部との合コンなんだって。医学部よ医学部。なんでも、女の子の人数が揃わないらしいのよ。それで、誰か誘って来てって頼まれたの。女の子は無料でいいっていうからさぁ、ねえ、一緒に行こうよ」
このときは、無料という言葉とはじめての合コンへの期待がまだ半々くらいだった。
「ねえ、行こうよぉ」
「ええ、でも……」
「もう、今更カマトトぶってないで」
「だからそれはちょっと盛っちゃっただけなんだって……」
「お願いっ! 私だって彼氏欲しいのっ! 経験豊富なんでしょ? 協力してっ!」
もはやアレは嘘でしたと言っても誰も信じてくれないくらいキャラが浸透してしまった夕夏と違い、カナは処女であることと、早く彼氏が欲しいということをオープンにしている。
夕夏も本心の部分はカナとあまり変わらないのだが。その素直さは友達として好ましく思えてくる。
「とにかく、頼んだわよ。明日来てね。約束よ」
結局、押し切られる形で承諾することになった。
はじめは乗り気ではなかったけれど、一晩寝て起きてみたら合コンへの期待は加速度的に大きくなってきた。なぜかは分からないけれど、何かが起きる。そんな予感がしていた。
◇
そして夜。渋谷の居酒屋で合コンは行われた。
カナと一緒に入口でクジを引き、席についた。ちょうど男子と女子が半々ずつ。
一つだけ情報の行き違いがあった。
医学部男子との合コンと聞いていたが、それは微妙な聞き間違いで、正しくは『理』学部男子であった。夕夏は別に気にしていなかったが、カナは露骨にテンションが下がっていた。
(カッコよくてフィーリングが合いそうな人なら、そんなの全然関係ないと思うけど……)
そう思う夕夏はカナに言わせれば甘いらしい。
「夕夏は女を安売りし過ぎなんだって。女はね、いつでもどこでも自分に最高値がつくように振る舞って、くっつくなら最も高く買ってくれる男じゃなきゃいけないの。理学部男子なんてどうせ就職無理学部だし、将来性も無いわ」
将来性。
確かに、それは大事な要素かもしれない。
必ずしも医者である必要なんてないけれど、彼氏にするなら将来性を、未来を感じさせてくれる人がいい。
なぜなら、悩める夕夏にとってはこれからの人生をどうやって生きるのかが目下の問題だからだ。
━━尤も、そんな事は誰にとっても問題で、逆に言えば問題と言える程の事ですらないのかもしれないけど。
未成年である夕夏たちはジュースで乾杯だ。
男子の中には20歳を超えているのか、ジョッキで生ビールを勢い良く飲み干す人もいた。
席の各所で歓談が始まった。
集まった女子の中には知っている子もいれば、知らない子もいた。勿論男子は全員が初対面だ。理学部というと背ばかりがひょろ長い、病気みたいに顔色が青白い眼鏡クンを想像していた。
確かにそういうタイプの男子もいるにはいたが、今夜集まったメンツはスポーツマンタイプもいればお笑い芸人のように盛り上げ上手な男子もおり、バラエティに富んでいた。
そうした男子とお話するのは楽しかったし、新鮮でもあった。だが、夕夏が一番気になった男子は、彼らではない。
夕夏の斜め向かいに座る彼。
スポーツマンというにはそれ特有のガツガツ感がないし、ひょうきんなタイプには逆立ちしても見えない。
そんな彼と何気なく目が合ったとき、夕夏は心臓の動きが一瞬止まってしまった気がした。
なぜだか気恥ずかしくなって、下を向いて俯いてしまった。
3度目くらいの席シャッフルで、その彼と隣同士となった。お互いに自己紹介し合い、名前を知ることができた。
冬木北斗。
それが、彼の名前だった。
色素の薄い、ほんのちょっぴり癖のある髪。肌は女としてちょっと敗北感を覚えるくらい真っ白。よく言えば涼しげ、悪く言えばどっちを見ているのかよく分からない細目。やせ形に見えるがよく見ると意外と筋肉質。一方で指はピアニストのように細長くて繊細そうだ。唇はカサカサで、リップくらい塗りなよとお節介を焼きたくなってしまう。そういうタイプだ。
ちなみに東北地方の出身で、実家はパン屋らしい。
「俺、これでも一浪でさ。二十歳過ぎてるんだよね。だから飲んでもいいのさ」
そう言ってハイボール・グラスを傾ける彼に、ほんのちょっぴり大人を感じた。
「ずるい……」
「えっ? どういう事だい?」
「冬木くんってさ、二十歳って言ってもなったのは最近でしょ? でも今こんなに手慣れた感じで飲んでるってことは、実家でも結構飲んでたでしょ。あーあ、うちは厳しかったからなぁ……」
そこまで言い終えると、彼は目を点にしてじっと夕夏のことを見つめていた。
「ど、どうしたの……? 違った?」
「いや、その通りさ」
ニィと笑う。
(何考えてるのかよく分かんない顔だけど、こんな笑顔も見せるんだ……)
人懐っこい笑顔。
ちょっぴりキュンとした。
だが、冬木氏の株価はこの瞬間が最高額で、以降は話せば話すほど株価が落ちてゆくこととなった。
それは何故か。
端的に言って金にだらしないからだ。
「大学の入学金と授業料ってさ、メチャ高だよね。俺、もう貯金は尽きちまったし、実家だって金ないしさ」
「ちょ……。そ、それ、どうするのよ?」
「この財布に残った3,000円を元手に、パチかスロでも行くさ」
「絶対無理だと思う……」
「それでダメなら、バイトの給料日まで水飲んで凌ぐさ」
あまりに刹那的すぎる。
夕夏にとっては対極の存在と言ってもいい。『将来性』が相手探しの肝と考えていただけに尚更だ。
(こいつはないわ……)
夕夏の中では、年上なのにも関わらず既にこいつ呼ばわりであった。
だが。不思議と話は弾んだ。恋愛対象から離してしまえば、夕夏の知らない様々な話を面白おかしく話してくれるし、話していて不思議といつまでも話題と笑いが絶えないからだ。
2時間のコースだったので、9時でお開きとなった。結局半分くらいの時間を冬木と話していた気がする。
その後は二次会に行くグループ、帰るグループとそれぞれに別れる事となった。始まる前はあれだけグチグチ喋っていたカナはいつの間にか上機嫌になっており、既に二次会に行く気まんまんだ。
目線の先は、さっきのスポーツマンタイプの男子へと向けられていた。どうやら話したいけれどタイミングを図りかねているようだった。
(がんばれ、カナ!)
心の中でエールを送る。
夕夏は帰宅組である。渋谷駅に向かって歩きはじめた。その時だ。
(あっ……!)
さっきの彼だ。後ろ姿でもはっきり分かる。なぜなら周囲より背が一回り高いからだ。180センチをゆうに上回っている。
だが、歩き方がなんだか覚束ない。
「ふ、冬木……くん?」
ちょっと逡巡したが、意を決して声をかけてみることにした。
夕夏に気づき、振り向いたその顔は結構お酒が入ったためか、白い肌が露骨に赤くなっていた。
無言でサムズアップしようとするも、グキッと足をひねらせて盛大にズッコケていた。
「ちょっ……冬木くん!? 冬木くーん!」
(第1話②へ続く)
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