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頭の休憩
ぼんやりする。
何も考えたくない。
新しい情報を入れるのは酷く億劫。
でも全く何もしないのは嫌。
ただ寝てもいられない。
可能な範囲で起きていたい。
とにかく何かがしたい。
そういった、無駄な焦燥感がある。
ここ最近はそういう気分なので、「一度読んだことがある本」を読んだり、「もう何度も調べた歴史の資料」を読んだり、「過去に繰り返し見た動画」を見たりしています。
小説や漫画やアニメのような、完全な物語形式だと頭に入ってこないので、資料集をよく読みます。
例えば私の場合、クトゥルフ神話作品が好きなのでクトゥルフ神話研究の資料を読んだり、作品の舞台になりがちな1920年代アメリカの資料を読んだりします。
既に読んだことがある、既に知っている内容だから、最初から最後まで集中して読まなくてもいいし、なんなら飛ばし飛ばしで読んでも構わない。
別に新たな発見などしなくてもいいし、忘れていたことを思い出せたら儲けもんくらいに考えてざっくり読めばいい。
そのくらいのスタンスで、自分が好きなものを摂取します。
例えばこれ、音楽が好きなら好きな音楽だけを延々と流し続ければいいと思うし、映画が好きなら好きな映画を流し続ければいい。
料理が好きなら作り慣れた料理を作ればいいし、掃除が好きなら特に汚れていなくてもざっくり掃除していればいい。
なんかそういう感じで、「新しい技術や知識を身に着けるためのこと」が出来なくても、リラックスできるならそれでいい。
そうして落ち着いたらまた新しい技術や知識を身に着けるためのことをしてみればいい。
……って感じで自分を落ち着かせるようにしています。
自分に言い聞かせている。
間違っても「私は周囲に追いつけていないのだから休憩しちゃだめだ」とか思わないようにする。
無理やりにでもそうしないと、どうしてもそう思ってしまうからです。
努力できないし頑張れていない足踏みするばかりの自分と、どんどん前に進んでいる(ように私の目には映っている)周囲の全てと比較して自己嫌悪するからです。
今の社会って、立ち止まることを許してくれませんよね。
自分のペースでのんびり歩んでいたら絶対に見放されます。
だからずっとずっと全力で走らないと置いていかれてしまう。
特に人より能力的に劣っている自分の場合は。
私はそう思うことが多いです。
でもそれってどう考えても精神やられますよね。
それでやられている人多いんだろうなと思うし。
だからまた走れるように小休憩を入れる。
それに該当するのが、既に頭に入っているものを反芻するだけの上記の行為です。私にとっては。
でも、正直に言うと、めっちゃ疲れます。
休憩いれたって疲れるもんは疲れます。
まともに生きるという行為の全部が疲れます。
どうやったら疲れないようになるかしら。
それを考えたいなあ。
【本の紹介】
『エンサイクロペディア・クトゥルフ』
クトゥルフ神話は、H. P. ラヴクラフトをはじめとする作家たちによって100年近くにわたって書きつながれてきた巨大な神話大系である。
本書はそのクトゥルフ神話の研究者ダニエル・ハームズ氏があらゆる神話作品やラヴクラフトの書簡などを調べあげ、神話に登場するさまざまな用語を整理・分析した成果である。
『オンリー・イエスタデイ』
車、不動産ブーム、性の解放…。大量消費社会の輝かしい曙であった20年代の繁栄と終焉。現代日本が辿る道が浮かびあがってくる。
『アメリカ1920年代 ローリング・トウェンティーズの光と影』
アメリカの1920年代は黄金の10年間だった。女性の解放 大衆消費社会と自動車等々 この繁栄と狂乱の時代に 現代が始まったといえよう。
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