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インターネットに情報量が多すぎる

私はフレッシュな若者と言えるような初々しい年齢ではないが、人生設計をきちんと考えるべき年齢ではある。
一応、自分なりに将来困らないように、あの資格を取ろうかとか無駄遣いは避けて貯金しようかとか考えたりもする。

そんな不安を覚えた時、日々触れているインターネットの情報はどうしても目に付きやすくなる。

「取っておくと将来便利な資格○選」とか「将来性のある仕事○選」とかそんなタイトルのショート動画は、鵜呑みするものではないと分かりつつも、つい目に留まってドキリとしてしまう。

投資や資産運用といった類について今のうちにある程度のノウハウを身に着けた方が良いんじゃないかとか、一人で生きていく自信がないなら早いところ婚活したほうが良いんじゃないかとか考えてしまう。

そして意識してしまう。

今のうちにこの資格を取って「おかなければ」、とか。
今のうちにこんな努力をして「おかなければ」、とか。
第2新卒を過ぎたら若者扱いされなくなるとか、30を越えたら転職が難しいとか、40を越えたら適齢期を過ぎるとか、50を越えたら昔の様な無理がきかなくなってくるとか。
インターネットには現実世界でも耳にする上記の言葉が現実世界以上に常に蔓延していて。

「若いうちにこうしておいた方が良い」って。

そういう面は確かにある。無視するべきじゃない。
年齢を重ねることで何かのチャンスを失う可能性というのは現実問題どうしてもある。
私だって、10代の若い方々に私と同じ轍を踏まないようにアドバイス出来るならする。
そしてそれは一生終わらない。
先輩という存在は伊達に年齢を重ねていない。




ただ、それは視野を狭くする原因にだってなり得るのだと指摘された。

私の倍以上の人生を過ごしてきた母に言われた。
お前は考えすぎだと。
将来について考えすぎなくても、目の前の事をただこなしていれば、気が付くと普通に生きていることが出来ているものだと。

10代の頃から私は、未来が不安で仕方なかった。
私は好景気の日本を知らない。
私の将来を担保出来るのは私だけだ。
最悪、一人でも生きていける様にしないといけない。
私に他人を付き合わせないようにしないと。

そうして自分の首を絞め続けた。
気が付くと私は精神疾患を患っていた。
鬱病と不安障害(パニック障害)。
原因はひとつではなく様々なストレスの積み重ねだが、未来について考えすぎたことも原因の一つだろうと私自身は考えている。

私は不安症だ。石橋を叩きすぎて割るタイプだ。自覚がある。

何を行うにしたって下調べは絶対にしたい。
とにかく大量の調査を行う。
「とりあえずやってみよう!」と思えるまでに時間がかかるどころか、足を踏み出せないことだって度々あった。
そうして気が付けば、新しい事にチャレンジするチャンスを失っている。
精神疾患を患って以来、こういった元来の性質に拍車がかかった感覚もあり。

つまりこの性格で生きてきた時間があまりにも長い。
気が付いた時にはこういう節があったのだ、それをすぐに是正することは不可能だと思う。
どうにかして価値観を変えようともがいても、きっと焦り過ぎて破綻する。
(余談だが最近、15歳の頃の将来の夢に「安定した職に就く」と記載していた記録を発見して夢の無い子供だなと思ったりもした)




だからと言って「私はどうせずっとこうなのだ」と不貞腐れるのはもっと違う。不貞腐れたくなることもあるが、永遠にその考えでいることは嫌だ。恐らく自分が許せなくなる。

せめて、多少は許せる自分になるために、ああ自分今考えすぎているな、と思った瞬間に一旦立ち止まって、選択肢に「とりあえずやってみる」を追加するとか、そういったレベルの事からチャレンジしてみたい。

これをしておかなければ、もっと計画を立てなければ、という考えがあまりに極端な自分を、もう少し行動力がある方向にマイルドにしていけたら理想だ(これはこれで○○しておかなければ思考になっているだろうか?)。

実際に出来るかどうかは分からないけれど、一度こういった考えを整理して頭の片隅に入れておくだけでも、そのうち何かが変わると希望を持っておこうと思う。



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