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ひとつの趣味に傾倒し過ぎた人間の末路

たった半年前までの話。

私は夏コミや冬コミに数年連続でサークル参加していました。
ジャンルは今のところ内緒。隠したいというよりは、私自身が、ここと別名義の創作アカウントは切り離しておきたいというメンタル的な理由からです。ご容赦を。

完全な一次創作ではないけれど、およその共通設定として存在する舞台装置以外の、ストーリーやキャラクターは自分のアイデアで創作する系のジャンルです(ちょっと説明するのが複雑。シェアワールドに近いものだと思っていたければほぼ合っています)。

ジャンル自体も派遣ジャンルの緩衝材替わりに島を作られるタイプのジャンルで、年によっては壁サーも存在しなかったし、その中でも更に島中の零細サークルでしたが。
中身を工夫して、表紙を工夫して、SNSやyoutubeで宣伝して……と色々活動することが楽しくて。

そりゃ睡眠時間や他の趣味に使える時間を削ることになるので、且つて程ゲームに没頭出来なくなったり見るアニメや動画の数も減ったり、宣伝以外でSNSを眺める時間も減ったり、一部の人との交流の時間すら減ったりしましたが(これは今になって流石に自分でもどうかと思う)、それでも「文章を使って創作すること」は幼い頃から好きでいつしか生き甲斐に変わっていたので、大好きなジャンルで大好きな創作活動をすることをやめるなんて考えられませんでした。




なんであんなに創作活動に情熱を注いでいたんだっけ。

なんで他の趣味に費やす時間や、イベント前は睡眠時間を削ってまで執筆していたんだっけ。

なんで生き甲斐だとすら思っていたんだっけ。

なんで私の生きる価値だと思っていたんだっけ。

なんでこれを奪われたら生きていけないと思っていたんだっけ。

なんで文章を書くという行為をいつか仕事に活かせたら良いなとか身の程知らずな夢を持っていたんだっけ。

私から創作活動を奪ったら何が残るんだっけ。




今年の1月末に鬱病が悪化して、実際何も分からなくなった今、生きる気力がガクンと減った感覚がある。

「生きている」と喜びを感じることが出来る瞬間が全くない。
どうしても死んでいる。

年甲斐もなく人生のモラトリアム期ぶってんじゃねえよと罵りたくなることを言っている気がするけれど、如何せんこれが素直な感情だから仕方ない。許してほしい。

こうしてここで、殆ど推敲せずただ思うがままに書き連ねているだけの文章を書いていることも一種の創作活動と言えるのだとしたら、まだ私は創作から離れていないしやっぱり生きがいなんだと感じることが出来る。
そういうことにしたい。そういうことに出来たら良いなと思う。

私のアイデンティティはどう考えても創作活動にある。
人生の大半をそれと共に生きてきたので。




でも実際の所の私は今、生きている実感がない。
私はまだ、noteを書くことを創作活動だと思えていないのだろう。

それ以外のことを全部失ったとしても創作だけは辞めたくないのに。

この感情が一過性のもので、またかつての情熱をもって書くことが出来る様になったら最高だと思う。


こうしてみるとやっぱり依存先は増やした方が良いんだろうね。
趣味は沢山持とうね。




でもやっぱり楽しかったんだよ。
何にも代えがたいくらい。
書き続けられるなら、体壊しても何かを削っても周りにアホだなあまだやってんのかよと思われても別に気にならないと思うくらい楽しかったんだよ。
執筆以外の理由で精神壊してちゃあ意味ないけど。

いつかきっと戻ります。




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