見出し画像

極端な加害者意識は自分への暴力だし周囲への迷惑だ

極端な被害者意識も、極端な加害者意識も全く非論理的でなんの役にも立ちはしない。

……ということは一応理解しているつもりだけれど、どうしてもどちらかに考え方が偏りがちな人間っているよなぁとも思う。当然自分も。

前者は他者との話し合いを、後者は自身との話し合いを怠って横着した結果だ。どちらも違うようで似たような間違いを犯している。




私は全部自分が悪いのだろう、と思い込むことが多い。
これが「思い込み」だと気が付くのは、メンタルが落ち着いてから。
落ち込んでいる最中は全く生産的思考が出来ない。

何でもかんでも自分のせいにするのは、たぶんその方が難しい事を考えずに済むからなんだろう。楽なほうに逃げていることと変わらないと思う。

でも、メンタルが落ちている時は何の疑いもなく、周囲で起きていることの何もかもが自分のせいだと強く感じている。
私は罪人なのだと決めつけている。

これをぐるぐる繰り返す。

例えば、職場で体調が悪くて早退した人がいた時、私が風邪をうつしたんじゃないかとか私が何かしてしまってストレスの原因になったんじゃないかとか考える。

例えば、送信したメッセージに長時間既読が付かなかった時、私は相手を不愉快にすることを言ってしまったんじゃないかと考える。

例えば、好きな動画や漫画に感想コメントを残した時、私なんかがファンっぽい文章を送ったら作者さんにもファンにも嫌な思いをさせてしまうんじゃないかと考える。

文章に起こしてみると、大変馬鹿馬鹿しい、自意識過剰とすら言える自問自答だと思うことが出来る。
しかもこの自問自答は「駄目だ間違いだお前が悪い」という答えありきなのだから、余計馬鹿馬鹿しい。

当然生産的ではないから改善策を考えても答えはない。
精神疾患を治すことしか改善策は存在しない。

今は、ちゃんと分かっている。はず。




『さよならを教えて』というゲームに好きな台詞がある。

「そのヒクツさはすでに傲慢ですよ」

(実際のテキストは、間延びした幼げな喋り方をする少女の台詞なので「そのヒクツさはぁ、すでに傲慢ですよぉ」表記が正しい)

実際にそうだと思う。
何でもかんでも自分のせいにすることは、何でもかんでも他人のせいにすることと同じレベルで楽なので、ついやってしまいがちだ。



因みにさよ教で好みの子は巣鴨睦月ちゃんと上野こよりちゃんです。


以下、グレー枠内ネタバレ注意。


ネタバレ注意
さよ教は精神疾患の主人公が自分の妄想で作り出した学校内で、妄想で作り出した少女たちと会話をするゲームなので、上記の台詞は実質「主人公の自問自答」から出てきた台詞ということになる。主人公も分かっている、もしくは誰かに似たようなことを言われたことがあってそれが強く心に残っているのだろう、自分の卑屈さが傲慢だということを。主人公は何度も現実と向き合おうとしつつ(少女との対話)、それでも出来なくて、目を閉じてしまった結果があのストーリーなのだろうと感じた。主人公の精神疾患が寛解するのは、まだまだ先だろう。寛解の希望も厳しい終わり方だったけれど。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?