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介護労働Ⅲ-1.資本主義と介護労働-剰余価値-


1.労働者がいなくなった日本

 斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』が50万部を超えるロングセラーを記録し、『ゼロからの「資本論」2023年1月10日NHK出版新書)』も発売後3週間で早くも15万部を突破したといいます。
 単行本は1万冊売れればヒットというのが出版業界の常識らしいですが、それで言えば斎藤幸平の資本論についての2冊は、ともに大ヒットといえるでしょう。
 なぜ大ヒットしたのでしょうか。なぜ今、資本論、マルクス主義なのでしょうか。
 それは多くの人々にとって現代社会が非常に生きづらいものになっているからではないでしょうか。
 何か日本が変化しつつあるような気もしますが、現実は甘くないようです。

 日本では格差の是正や気候危機への対応を求め、社会運動を繰り広げる若い世代、ジェネレーション・レフト(Generation Left)[1]は、影も形もないように思います。

 また、日本では労働者の権利であるストライキはほとんどなくなってしまっています。
 日本の労働者は自分のことを労働者だとは思っていないようです
 日本人は職員であり、社員であり、従業員であって労働者ではないのです。

 米国では2022年に教師や看護師を中心にストライキに参加した労働者は約12万600人で、前年から5割増えたといいます。
(日経新聞2023年2月25日 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68771870V20C23A2NNE000/ )

 さらに、2023年2月1日、イギリスでは約50万人規模のストライキがおこなわれたとのこと。
(東京新聞2023.02.02 https://www.tokyo-np.co.jp/article/228995 )

 世界では、労働者が正当な権利としてのストライキを堂々と行使しているのです。

 日本でも1974年には半日以上のストライキ件数が5,197件、行為参加人員数が362万だったといいます。しかし、2021年のストライキやロックアウトなど争議行為を伴う争議件数は55件しかありませんでした。
(2021年「労働争議統計調査」厚生労働省)

 約半世紀で日本からストライキ、労働争議がほぼなくなってしまったのです。

 現代の日本では、多くの人に迷惑をかける物騒なストは過激すぎて忌避きひされているのでしょう。
 「我々日本人は道理がわかる人間だし、他人に迷惑をかけたりしない。日本人は過激な行動をとらない成熟した大人なのだ。」と自惚うぬぼれているとしたら、それはあまりにも愚かです。

 日本人の多くは未だにトリクルダウン[2](trickle down)神話を信じ、企業や富裕層が十分に儲かれば、そのうち、恵みが下層階級へもしたたり落ちてくると信じているのでしょうか。

 日本では労働者の非正規化が進む中で、大人しい労働者は資本・経営側のマインドを自らのマインドとしてしまっています。なにしろ、日本労働組合総連合会(連合)の芳野友子会長は自由民主党へのシンパシーを隠したりはしないくらいです。連合はかつてないほど権力(自由民主党)に接近しています。

(参照:朝日新聞デジタル2023年2月26日「自民に大事にされている」連合会長が出席も考えた党大会の舞台裏 https://www.asahi.com/articles/ASR2T7VTNR2SUTFK005.html

 日本の労働組合の組織率は約16.5%程度で組合員は1,000万人を切ってしまっており、集団的労使関係に守られていない労働者が増加しています。
 また、医療・福祉の組織率にいたっては5.8%、組合員数は50.3万人と他の産業に比べても非常に少ないのです。介護サービス利用者の人権については云々いう福祉・介護業界も労働者の権利については無関心のようです。
(参照:厚生労働省の「2022年労働組合基礎調査」https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/22/index.html )

 介護労働は低賃金で劣悪な労働環境であることが多いにもかかわらず、職場で何か自分に不利益なこと、不条理なことがあっても経営サイドに対して、たった一人で戦うしかないのです。それゆえ、介護労働者は会社と戦う前に、その会社から逃げ出すことの方が圧倒的に多いようです。

 介護労働者は会社で、何か不利なこと、不条理なことがあった場合、闘争より逃走を選択することがほとんどではないでしょうか。

 劣悪な労働環境、労働条件の中で働かざるを得ない介護労働者、しかも、経営側に対して圧倒的に弱い立場にいる介護労働者にとって、マルクス主義の概念装置は思考の道具、自らを守る道具、闘争の道具として、今こそ役に立つのではないでしょうか。
 また、マルクス主義は、金儲け主義に蝕まれた資本主義社会の中で、地域に根差したコモンとしての介護事業を構想していく際の概念装置を提供してくれると、私は思っています。

 マルクス主義(Marxism)的観点から介護労働について自分なりに整理し、レポートしてみたいと思います。

2.使用価値・介護を蔑ろにする資本主義

 斎藤幸平さんによると、「商品」(サービス含む)には「使用価値」という側面と、「価値」(「交換価値」)という二つの側面があるといいます。

『「使用価値」とは、人間にとって役立つこと(有用性)、つまり人間の様々な欲求を満たす力です。水にはのどの渇きを潤す力があり、食料には空腹を満たす力です。・・・「使用価値」こそ、資本主義以前の社会での生産の目的でした。』

引用・参照:斎藤幸平 2023「ゼロからの『資本論』NHK出版新書」P38,39

 「使用価値」とは有用性ということです。これに対して、「価値」とは市場で取引される商品の「交換価値」のことで、貨幣と交換されます。市場で交換されない椅子は「使用価値」、有用性しか持たないただの椅子ですが、商品としての椅子は市場で貨幣と交換される「価値」を有しているのです。
 そして、資本とは自己増殖する「価値」の運動のこと、つまり、「価値」の自己増殖運動のこと、止めることのできない金儲け運動のことです。斎藤幸平さんは次のように記しています。

 「お金や商品は資本の仮初かりそめの姿です。次々と姿を変えながらも、自己を貫徹して増大していくのは、「価値」であり、価値が主体となって、その運動が「自動化」されていくとマルクスは指摘しています。」

斎藤幸平 2023「ゼロからの『資本論』NHK出版新書」P61

 資本主義社会とは、商品やサービスの「使用価値」より、「価値」(お金で測れる値段・価値)を優先する社会ということです。つまり、使い勝手やサービスの品質、有用性よりも、その値段、金銭的な「価値」の方が重要で、金儲けの主軸となるのは、商品・サービスの「使用価値」ではなく「交換価値」ということです。

 資本主義社会では「交換価値」が優位で、「使用価値」はおとしめられている社会なのです。

 さて、斎藤幸平さんは、介護労働は「使用価値」 を重視した労働であり、過度な生産性の向上、効率化はその使用価値を低下させるとして次のように指摘しています。

「もちろん、介護や看護の過程を徹底的にパターン化し、効率を上げることはある程度可能だ。だが、儲け(=「価値」)のために労働生産性を過度に追求するなら、最終的にはサービスの質(=「使用価値」)そのものが低下してしまう。」

引用:斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書p313,314

 介護サービスの「使用価値」とは、当事者(お年寄り)の喜び、安心、満足、効用、有用性ですが、資本主義のもとでは、「交換価値」儲けのために、この「使用価値」はあくまでも副次的なものにおとしめられてしまいます。

 実際に、当事者(お年寄り)は介護施設に入居していれば、その介護サービスの「使用価値」有用性、効用とは無関係に、その対価を支払わなければなりません。
 資本家、経営者としては当事者が入居さえしていれば「使用価値」とは関係なく「交換価値」、金銭を得ることができます。もはや、当事者(お年寄り)の満足や効用などの「使用価値」は副次的な問題なのです。

 介護は本来的には、介護される者と介護する者との相互行為であり、介護の使用価値とはあくまでも当事者の感じる有用性なのですが、この使用価値をないがしろにする経済・社会的構造のもとでは、当事者の満足などとは関係なく、ただ単に、食べて、排泄して、寝て、というような外形的な体裁さえ保てれば、それで良しとするようになります。

 このように、当事者の満足、「使用価値」が蔑ろにされてしまうのは、個々の労働者の問題だけではなく、資本主義経済社会体制そのものの構造的問題なのです。

 資本、経営者が介護事業で儲けようとして、生産性の向上を目指して効率を求め過ぎるとサービスの質(「使用価値」・サービスの有用性)が低下せざるを得ないですし、「使用価値」を無視した効率化は、必要な物や人員までを削ることにつながっていきます。

 残念ながら、資本主義国家である日本の介護企業も、資本増殖のため、競争に勝つために、当然ながら儲け主義に走らざるをえないのです。

(参照:斎藤幸平 2023「ゼロからの『資本論』NHK出版新書」P51,52,53,60)

3.サービス残業で肥える資本(絶対的剰余価値)

 資本とは「価値」の自己増殖運動のことです。この「価値」を生むのが人間の労働で、「価値」はその商品・サービスを生産するに要した労働時間によって決まります(労働価値説)。
 ですから、商品・サービスに投入される労働時間が長ければより多くの「価値」を生むことができるのです。そして、資本家が労働者を搾取して得られる価値・儲けを剰余価値といいます。


Absolute Surplus Value | John Keeley

① 儲けの源泉としてのサービス残業

 労働者にサービス残業(無給の時間外労働)をさせればさせるほど資本家は儲かるということは誰でも知っています。これを絶対的剰余価値といいます。

「労働時間を延ばすことで資本家が労せず手にした追加の剰余価値を、マルクスは「絶対的剰余価値」と呼び、労働時間の延長が絶対的余剰価値を生産すると指摘しています。」

引用:斎藤幸平 2023「ゼロからの『資本論』NHK出版新書」P69

 今でも劣悪な介護事業資本の下で、介護労働者たちは、始業時間前から働いたり、休憩時間に働いたり、終業時間後にサービス残業をしたり、仕事を家に持ち帰ったりしていることが多いのです。
 残業手当(時間外労働手当)を支払わずに労働者を働かせている事業者は少なくありません。
 平然と「うちは残業がない」と宣言している経営者もおりますが、実際は「残業がない」のではなく、「残業させても残業代を出さない」だけなのです。もちろん、労働基準法違反です。

② 善意の搾取

 なぜ介護労働者たちはサービス残業をしてしまうのでしょうか、しかも、積極的にです。
 それは、介護が濃密な相互関係、人間関係で成り立っており、介護される当事者(お年寄り)は弱い立場であり、心の優しい介護労働者は入居者たちのためを思って、彼らのために残業しているか、または、同調圧力により,なんとなく他の人の残業に付き合ってしまうからなのでしょう。
 資本家・経営者はこの介護労働者の善意、同調圧力、仲間意識を最大限に利用しているのです。これは善意の搾取・やりがいの搾取に他なりません

③ 権利に無知

 さらに、労働者自身が労働者の権利を知らなすぎるということもあります。
 自社の就業規則を見たことがない、読んだこと、熟読したことがない、法定労働時間と所定労働時間、振替休日と代休の区別もつかない、法定休日、休憩、深夜労働時間、三六協定、宿直等々、労働基準法(以下「労基法」)上の概念、権利を知らない労働者が多いのです。
 
 また、介護施設の管理者が行政からの天下あまくだりが多いということも、労基法に関して無関心な状況をつくりだしているのかもしれません。
 国家公務員には労基法、労働組合法、労働関係調整法、労働安全衛生法等々が適用されていません。地方公務員は労働組合法、労働関係調整法、最低賃金法は適用されていませんし、労基法も一部しか適用されていないのです。ですから、天下りの管理職は労働関係法に詳しくないし、関心も興味もない場合が多いようです。

 さらに、日本の労働者が労働者としての権利を知らないのは、日本の中学校、高等学校で労働者としての権利をほとんど教えないからです。
 さらに、就職後でも、資本家・経営者が敢えて労働者の権利について教育するわけはありません。彼らは労働者が自分の権利に無知であればあるほど良いのです。

 介護労働者は自らの労働者としての権利を学ぶところから始めなければなりません。自分たち労働者の権利を知り、それを守ろうとする意志がなければ当事者(お年寄り)の権利にも鈍感となってしまうことでしょう。

 労働基準法のあらましについては、以下の東京労働局のパンフレット等を一読することをお勧めします。
https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/000626474.pdf

④ 非正規化の促進

 多くの企業では新自由主義[3](ネオリベラリズム:neoliberalism)の波に乗って、正規労働者を非正規労働者に転換してきています。
 要するに、正規労働者の比率を下げ、契約労働者、嘱託労働者、非常勤労働者等の非正規労働者の割合を増やして労働力の価値、人件費を下げて儲けを得ようとしているのです。非正規労働者は賞与も少なく時間当たりの賃金は正規労働者よりも低いからです。

 日本の非正規職員の割合は1989年には約20%でしたが、2019年には約40%と30年間で2倍にもなっています。
(出典:総務省統計局『労働力調査 長期時系列データ(詳細集計)』)

 介護施設でも職員の非正規化が進んできています。ちなみに、介護施設での非正規労働者の割合は39%となっています。
(参照:公益財団法人介護労働安定センター「平成29年度介護労働実態調査」)
 介護業界でも絶対的剰余価値・儲け獲得のために、サービス残業、職員の非正規化等、ありとあらゆる手段を講じているのです。

 ここに、介護事業での劣悪な労働環境の根本原因があります。

4.生産性向上の罠・相対的剰余価値

 儲ける仕組みは、絶対的剰余価値の他に、相対的剰余価値があります。

「労働力価値の低下によって生み出される剰余価値を、マルクスは「相対的剰余価値」と呼んでいます。」

引用:斎藤幸平 2023「ゼロからの『資本論』NHK出版新書」P98

 この相対的剰余価値を理解するためには労働時間について整理しておく必要があります。
 労働者の労働時間には労働者の賃金分に相当する「必要労働時間」と、資本家のために労賃以上の価値を生産するための労働時間、つまり「剰余労働時間」に分かれます。

 公式的に表せば、 「必要労働時間」+「剰余労働時間」= 労働時間 となります。

 例えば、8時間労働で2万円分の価値を稼ぎ出すとしましょう。その8時間労働のうち4時間の「必要労働時間」で自分の日給1万円分を稼ぎ出し、残りの4時間の「剰余労働時間」で資本家のための儲けの部分(1万円)を稼ぎ出すといったようなことです。

公式っぽく表現すると・・・

「必要労働時間:4時間で1万円」+「剰余労働時間:4時間で1万円」=8時間の労働で2万円の価値を生産することになります。

 相対的剰余価値とは、機械の導入などによって生産性の向上を図り、より少ない労働時間(必要労働時間)で労賃部分を稼がせ、儲けのための労働時間(剰余労働時間)を拡大することで儲けようとするものです。

 先の例を用いれば、効率性を向上させ、労働者が「必要労働時間」を2時間に短縮できたとします。2時間で自分の労賃1万円分を稼げるようになったとすれば、「剰余労働時間」は6時間に拡大できます。そして、この6時間の剰余労働時間での稼ぎは3万円となります。先に示した生産性向上前の3倍もの剰余価値を資本家は得ることができるのです。

 つまり、「必要労働時間:2時間で1万円」+「剰余労働時間:6時間で3万円」=8時間の労働で4万円の価値を生産することになるのです。

 相対的剰余価値とは簡単に言えば、生産性の向上によって得られる儲けのことです。
(参照:白井聡2023「マルクス 生を呑み込む資本主義」講談社現代新書p87,88,91)

 さて、介護施設における相対的剰余価値の獲得、つまり生産性の向上とはどのようなものでしょうか。

  • それは、より少ない労働者でより多くの入居者を介護するということ。

  • ということは、入居者一人当たりの介護にかける時間を短縮するということ。

  • そのためには、入居者が望みもしない介護業務のスピードアップを図る、または、介護業務を機械、ロボット等に代替させることが求められていくのです。

 介護事業における生産性の向上・効率化とは、介護業務のスピードアップ、機械化に他なりません!

 生産性を向上させれば、介護労働者がもっと当事者(入居者)と関わる時間が増えていくと考えるのは大きな勘違いです。

 生産性の向上による相対的剰余価値の獲得は、入居者の訴えを無視する業務計画至上主義を生み出します。相対的剰余価値の追求は相互関係としての介護を破壊する危険性があるのです。

 近年、大手介護企業等はAI・ICT・ロボット等の導入により介護業務の効率化を図り職員配置基準の緩和を求めておりましたが、2024年度から一定の条件下で、この要求が認められることになっています。
 これは機械等の導入による生産性向上と引換えに、介護労働者の配置を少なくし、相対的剰余価値の獲得を目指すもので、相対的剰余価値に基づく典型的な儲けの手法です。

 もちろん、介護労働者の便利な道具としてAI・ICT等を介護現場に導入することは基本的には望ましいことですが、その便利な道具を「介護労働者を減らす口実」にするというのは、まさに資本の論理・儲けの主義の論理です。

 介護事業へのAI・ICT導入による生産性向上の問題点を斎藤幸平さんは次のように指摘しています。

「ケア労働の部門において、オートメーション化を進めるのはかなり困難である。ケアやコミュニケーションが重視される社会的再生産の領域では、画一化やマニュアル化を徹底しようとしても、求められている作業は複雑で多岐にわたるため、イレギュラーな要素が常に発生してしまう。このイレギュラーな要素はどうしても排除できないため、ロボットやAIでは対応しきれないのである。これこそ、ケア労働が「使用価値」を重視した生産であることのあかしである。・・・中略・・・例えば、介護福祉士は単にマニュアルに即して、食事や着替えや入浴の介助を行うだけでない。日々の悩みの相談に乗り、信頼関係を構築するとともに、わずかな変化から体調や心の状態を見て取り、柔軟に、相手の性格やバックグラウンドに合わせてケースバイケースで対処する必要がある。」

斎藤幸平2020『人新世の「資本論」』集英社新書p313

 資本(「価値」の増殖運動)のために、AI・ICT・ロボット、分業等の導入により生産性を向上させようとするのは原理的には、当事者(入居者)のためでも介護労働者のためでもありません。それは相対的剰余価値、つまり儲けのため、資本増殖のためです。

 社会福祉法人などの非営利の介護事業運営体ではAI・ICT・ロボットの導入により生じた時間的余裕を、介護労働者がより多くの時間を当事者と共にいられるために使うことが可能となるかも知れません。
 しかし、資本主義体制下の営利企業では、まずは、相対的剰余価値として資本の増殖に用いられる可能性が高いのです。

 介護事業の最大の支出科目は人件費です。この人件費を如何に削るか、合理化するか、生産性を高めるのかが介護施設の儲けに直結しているのです。
 そして、このような機械化による相対的剰余価値の獲得は、労働者の低賃金にもつながって行くのです。

 大西広[4]さんは、そもそも、資本主義は「ヒト」よりもAI、ICT、ロボット等の機械設備へ投資し儲けようとするので、労働者の賃金は抑制されるのだと次のように指摘しています。 

 「資本主義を生みだした産業革命は・・・「ヒト」ではなく、機械設備の蓄積がより優先して求められるような社会システム転換していましたから、そこでは社会的総生産のうちのより多くの部分が「生産設備の拡大(蓄積)」に割かなければならなくなりました。現在はこの「機械設備」にAIなどの高度な情報処理ツールが更け加わっていましが、本質は同じです。これは当然、賃金分配の抑制を必要としますので、貧困の原因となります。」

引用:大西広2023『「人口ゼロ」の資本論』講談社+α新書 p151,152

 資本家・経営者にとって、絶対的剰余価値、相対的剰余価値が利益の源泉なのです。

 介護事業で進行しつつある、残業、分業、労働者の非正規化、AI・ICT・ロボットの導入等々は、全て資本主義の「価値の論理」、資本の自己増殖を動機としているのです。


[1] ジェネレーション・レフトとは、格差の是正や気候危機への対応を求め、社会運動を繰り広げる若い世代を指す言葉。イギリスの政治理論家、キア・ミルバーンが自身の著書「ジェネレーション・レフト」で提言し、世界中に知られるようになった。格差問題や気候変動など社会課題に興味、関心が高いZ世代・ミレニアル世代が中心となっており、世界中で注目を集めている。

[2] トリクルダウン(trickle down)は浸透を意味する英語。 トリクルダウン理論とは「富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される」と主張する経済理論。

[3] 新自由主義とは、政治や経済の分野で「新しい自由主義」を意味する思想や概念。自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。 競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。

[4] 大西 広(1956年~ )日本の経済学者。専門は、マルクス経済学・近代経済学・統計学。京都大学名誉教授。

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