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地獄への道行き―より良い介護を目指して―

 


はじめに 

 私は介護施設に約7年勤務し、介護事業経営のコンサルに25年以上携わってきました。そして、目出度く?介護保険の第一号被保険者になりました。そろそろ、自分の老後のことを考えなければならない年になったわけですが、今までの、経験をつうじて、将来利用するかもしれない日本の介護施設に危機感をもっています。
 私は介護施設は非常に危険なところだと思っています。私の現在の関心事は、より良い介護施設を如何にして創っていけるのかということです。

 日本の介護施設を見渡した時、素晴らしい実践を行っている施設もありますが、残念ながら、絶対に入りたくないと思うような劣悪な施設が圧倒的に多いのが実情です。
 ですから、より良い介護施設を「如何に創るか」という課題に取り組む前に、日本の劣悪な介護施設の現状を分析し、その原因を構造的に把握することが先決問題だと思っています。

 頑張っている施設の職員さんには申し訳ない気もしますし、介護施設の悪いところ、危険性に焦点を当てるのですから、読んでいて気が滅入ってしまうかもしてません。しかし、介護施設の悲惨な現状の背景、原因等を構造的に把握するということは、次のマキャベリの名言に通じると信じています。

「天国へ行く最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。」

ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli 1469年~1527年)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。「君主論」で有名。

(1)日本の介護施設の悲惨な現状

 超高齢化社会に突入した日本ですが、非常にサービスレベルが低い介護施設が多いのが実情です。レベル(level)が低いというより、既にラベル(label)が違ってしまっている施設もあるくらいです。
 そして、多くの国民は介護施設のサービスレベルが低くても「こんなものんだ」と諦めてしまっているように思われます。

 日本の介護施設は一種の収容施設、監獄のようなものと化してしまっているのです。

 そこは人としての尊厳や人権などない、人間らしい生活の欠片かけらもありません。楽しみであるべき食事が何の会話も無しにえさのように与えられ、トイレに行きたいと訴えても、「またか」と無視され、オムツ交換も形だけで拭き残しがあって皮膚の状態も悪くなっている入居者が多いのです。

 目脂めやにがついていて目が開けづらくても拭き取ってもらえず、髪が茫々ぼうぼうでもいてもらえない。悲惨極まりない状況があるのです。このような悲惨な介護施設が全てではありませんが、かなり多いという事実から始めなければなりません。

 写真を見てください。これは介護のニュース記事です。『介護施設の人員配置基準の緩和、都内特養の約7割が「反対」=東社協調査』(JOIN介護のニュースサイト2022.07.21)

(参照;https://www.joint-kaigo.com/articles/2022-07-21-2.html?fbclid=IwAR1rbC-qo8FKFNv9yicdWlqseEke2GrDliaLy8Ksj8C68QQzH-4Kqf6fdCE )


JOIN介護のニュースサイト2022.07.21

 この写真は日本の介護施設の全てを語っているように思います。
 子供じみた飾りつけ。
 パステルカラーの制服。
 入居者たちは壁に向けて座らされ、何をするでもなく、うつむくか、壁か天井を見つめるか、目を閉じるか、空虚放置くうきょほうち(注1)されています。
 外部の喧噪けんそうと内面の空虚。
 外部の光と内面の影。
 職員達の「動」とお年寄りたちの「静」の対比。
 日本の介護施設をよく捉えた写真ではないでしょうか。

注1「むなしい状態に放って置かれることを<空虚放置>と呼ぶことにしよう。」

國分功一郎2015「暇と退屈の倫理学 増補新盤」太田出版p221

 この写真を記事に掲載した意図はいったいなんだったのでしょうか?
 ただ、見慣れた介護施設の一場面を見せたかっただけなのか。それとも、人手不足、人材不足で介護施設はこんに大変な状況になっていると伝えたかったのでしょうか。

 現場で働く職員たちには、この写真をみても何も感じなくなることが求められています。こんな程度で心を痛めていては介護現場では務まりません。ここに日本の介護施設の問題が集約されているように思います。

 多くの施設で職員に将来自分が要介護状態になった時に、自分の施設に入居したいか聞くと、多くの職員は首を横に振ります。自分は要介護になっても自分の勤めている施設には入居したくないのです。職員自らは利用したくない施設、サービスって質が高いわけがありません。
 日本には利用したいと思えるような介護施設が少ないということ、多くの介護施設ではお年寄りの人権を無視した悲惨な状況となっていることに多くの日本人は気づいていません。または、気づいていないふりをしているのか、気づいていても自分と関係ないこと思っているのかもしれません。

(2)原因を探れ

 何故、このような劣悪な介護施設となってしまっているのかを考察することから始めなければなりません。介護施設のサービス品質が劣悪なのは、経営者が悪い、職員が悪いからだというのはあまりにも安易でしょう。
 個々人のせいではなく社会的、構造的な原因を探らなければ、普遍的な解決策を検討できません。

 以下に、検討しなければならない基礎的な課題について整理してみます。

①   理念の問題

 まず、日本の介護がダメな理由の第一番目はそもそも介護の理念や目標がズレているということだと思います。
 日本政府は介護の理念を自立支援としていますが、それだと、「介護とは介護をされないことが目的」という矛盾した概念ということになり、最初からボタンを掛け違えてしまっていると言えます。

 また、介護の目的が自立支援というのは政権の新自由主義的な思想(自己責任)を押し付けるものであり、国の財政的な都合を障害高齢者に押しつけるものです。

 さらに、介護の概念、理念を「人格的成長、自己実現、無条件の肯定」等々の美しい言葉で飾ることは、介護の権力性、抑圧性、暴力性を隠蔽するもので、百害あって一利なしですし、厳しい介護の現実に対応できません。

②   関係の非対称性

 被介護者と介護者の非対称的関係性が介護関係の根柢にあります。どう考えても介護は介護者の方が被介護者よりも圧倒的な強者です。そこから、介護関係の一方的な権力性、抑圧性、暴力性が生じやすくなるのです。介護というのは取扱注意のサービスなのです。

③   abuse/虐待

 劣悪な介護の直接的で端的な発現形態は、abuse/虐待です。私は虐待概念を「abuse」と「虐待」に区分すべきだと考えています。
 基本的にはabuseから虐待へとエスカレーションしていくのですが、悲惨な介護施設を卒業するためには、このabuse/虐待の原因を個々人のせいだけにせず、構造的に捉える必要があると思います。

④   パターナリズム(Paternalism;温情的庇護主義・父権的庇護主義)

 介護における抑圧性、支配・被支配関係などを糊塗ことしてしまうのがパターナリズムです。

 介護が被介護者と介護者の相互行為であるにもかかわらず、介護者がこのパターナリズムにより当事者(お年寄り)から主導権を奪っておいて、自らは善いことをしていると錯覚してしまうと、手に負えなくなってしまいます。
 このパターナリズムには特別な人が染まってしまうのではありません。介護者であれば誰でも自然にこのパターナリズムに染まっていくのです。パターナリズムは新型コロナウイルス (COVID‑19) より感染力は強いようです。パターナリズムはより良い介護を創造していく際の難敵です。

⑤   客観的科学的思考・エビデンス主義

 客観的・科学的なものの見方、エビデンス主義も介護という相互行為にとって障害となることがあります。

 介護者には専門家として当事者(お年寄り)を客観的・科学的に観察することが求められていますが、この客観的・科学的視点は当事者を徹底的に客体化し、その主体としての存在を忘却させるという強い副作用があります。
 このため、当事者が当事者(主体)でなく、単なる客体となり、介護関係が一方的になってしまう恐れがあるのです。また、ここにもパターナリズムの影が付きまとうのですが・・・

⑥ 介護労働

 当然のことですが、介護サービスは介護労働者によって支えられています。

 コロナ禍において介護労働者もエッセンシャル・ワーカーであると広く認識されるようになりました。
 現代日本では労働者という概念は死語となっているようですが、資本主義体制における介護労働について考えることは、儲け主義の介護企業から介護を救い出すためにとても大切なことだと思います。

⑦ パノプティコン(panopticon;一望監視施設)・規律訓練・生政治

 

panopticon

 パノプティコンという概念は介護施設を考える上で非常に重要なものです。介護関係の教科書に必ず取り上げてほしい概念です。

 介護施設は18世紀末のパノプティコン(監獄)と同じような構造で、介護する者(職員)は介護される者(当事者;入居者)から自身の生活を覗かれることなく、入居者を監視(見守り)する構造となっています。
 このパノプティコンは人間関係に大きな影響を与え、不条理な指示、命令、規則に入居者が自ら従うよう仕向ける(規律訓練;discipline)のです。

 さらに、コロナ禍により介護施設では感染防止のために入居者と家族の接見、入居者の外出などを禁止し、強力な生政治が介護施設を覆った結果、「むき出しの生」が施設での生の標準となってしまいました。

 生政治とは出生・死亡率の統制、公衆衛生、住民の健康への配慮などの形で、生そのものの管理を目指すものですが、その生政治はコロナ禍以降も継続していると私は見ています。

 介護業界には、このパノプティコン、規律訓練、生政治という概念はほとんど流通していないので、介護における権力関係を考察することが難しくなっていると思います。そのため、職員は、自然に、しかも自らは善かれと思い込んでパノプティコン的権力関係に巻込まれていくのです。

⑧ 業務計画至上主義

 介護施設では入居者の「人権尊重」とか「尊厳を守る」といった理念は建前にしかなっていないように思われます。
 介護職員の行動を左右する根本的な物の考え方、暗黙の至上命令、つまり、イデオロギー(観念形態;ideology)は業務計画至上主義だと思います。

 入居者の「トイレに行きたい」「ベッドに戻りたい」という切実な訴えを無視してでも決められた種々の業務の遂行を最優先させるのが業務計画至上主義です。
 要するに介護施設における業務計画至上主義は新自由主義的な効率至上主義に他なりません。
 効率性向上のためには、生身の人間の気まぐれで安定しない需要(訴え)を無視し、入居者の訴えに関係ない業務を計画的に遂行することが生産性向上に資するということです。

⑨ 介護の効率化と質

 近年、介護事業の生産性向上、効率化と同時に、介護サービスの質的向上も求められています。

 この介護サービスの質とは何でしょうか。
 そもそも介護事業の効率化と介護の質的向上は両立するものなのでしょうか。
 介護の質を評価する権利は誰にあるのでしょうか。
 何に基づき、どのように評価するのでしょうか。
 LIFEによる介護のアウトカム評価が介護の質なのでしょうか。

 今、介護の質について真摯に問わなければ介護の生産性至上主義に屈してしまうのではないかと心配です。

⑩ パンデミックの影響

 コロナ禍によって介護施設等の権力性、抑圧性、暴力性といった本質が剥き出しとなり、先鋭化してしまったのではないかと思っています。

 コロナ禍において、介護施設は超法規的に面会禁止、外出禁止等の行動制限を行い「命を守ること」以外のすべての価値をないがしろにする「剥き出しの生」棲家すみかになり下がってしまいました。

 もう一度、コロナ禍によって介護施設で何が起こり、何が先鋭化したのかを明確にし、蔑ろにされたものが何だったかを明らかにする作業が必要だと思っています。 

(3)課題・問題領域

 私の考えていきたい課題・問題領域は大きく分けると、次の領域になると思います。
 A1:介護概念と介護関係論に関する課題領域
 A2:介護における人間関係論の個別領域としてのabuse/虐待という問題領域
 B:介護労働に関する課題領域
 C:科学と介護に関する課題・問題領域
 D:介護施設の課題領域
 E:ケアマネジメント及び意志決定についての課題領域


[1] ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli 1469年~1527年)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。「君主論」で有名。

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